気づけばもう12月半ばになり、今年も残りわずかですね。
12月に入ると、子どもたちはわくわくソワソワとテンション上がり気味ですが、親たちはバタバタと慌ただしく息が上がり気味になります。
夫の出身地・カナダでは年賀状よりクリスマスカードが主流なので、ニシ家のプリンターはクリスマスカードと年賀状印刷のため、12月中はいつも稼働しています。大掃除もそろそろ始めなくてはいけないし、お歳暮や、カナダの家族へのクリスマスプレゼントも間に合うように発送して... 等々、パートや家事の合間にごぞごそしていたら、あっという間に今年が終わりそうです。
そんな感じで落ち着きなく過ごす私を横に、最近、4歳の娘がこつこつと取り組んでいることがあります。
キリスト教系の幼稚園に通う娘は、「がまんのお金」を毎日少しずつ貯めていっています。自分ががまんした分を貯金箱にためて幼稚園に持っていくと、幼稚園がそのお金を必要としている人のところへ送ってくれるそうです。そのため、幼稚園で出されるおやつも普段の半分にされていて、浮いたお金を寄付金にまわせるように園児たちも頑張っているようです。
家での娘は、テレビを我慢して電気代を貯金箱へ、お菓子やジュース、シールなどの嗜好品を我慢して「がまんのお金」をねん出しています。
でも、こんなのもありますよ... これ(嫌いな食べ物)我慢して食べない!お風呂に入るのを我慢する!など... 食べたくない!入りたくない!も「がまん」にかこつけようとします。4歳にもなると知恵が回るようになるんですね。
先日、お世話になった保育園の園長先生に会いに行って来ました。
大きくなったねと娘を抱きしめ、娘の話しを聞いて「がまんのお金」や色々と頑張っているのね!とほめてくださっていました。
私との会話の中で、「それにしても、本当どれも贅沢品ばかりねー。無くても生活できるものばかりよね。」と言われていたのが印象的でした。
確かにそうだなと思いました。娘に我慢させているのは贅沢品ばかりで、無くてもさほど困らないものばかりです。
聖書でいう我慢というのは、犠牲のこと。愛ある犠牲とは、きっと「自分に必要なものだけれども、それを必要としている相手のために差し出すこと」なのだろうと思いつつ、そんなことが娘にできるだろうか、その前に私ができるだろうか…と考えていました。
私自身、あまり我慢は得意ではないのですが、園長先生とお話しした後に、本来のクリスマスの意味を考えて、親の私も少し我慢をしてみようかなと思いました。
クリスマスは、救い主イエス様の誕生日です。イエス様は、「命を犠牲」して私たちのために十字架の上で命を落とされました。イエス様のおかげで、私は許されている、天国にいくことができる、死んでも生き続けることができる、その希望と喜びを与えてくれた救い主イエス様を祝う日、また感謝をする日であるべきだとクリスチャンでありながらしみじみと考えていました。
イエス様の犠牲には到底及ばないのですが、クリスマスに向けて、私も我慢と犠牲をし、この慌ただしく過ぎていく12月を感謝と喜びを持ち過ごしたいと思います。
どうぞ、ジョイスのお友達の上にも神様の祝福がありますように。
また、平安と喜びがありますように☆彡
~クリスマス会のお知らせです。~
★12月18日(日)2時半~
クライストチャーチ岡山
どなたでもお越しください♪
キャンドルサービスやお茶も用意しています。
★今年のクリスマスは日曜日です。
12月25日は10時半から礼拝があります。
よろしければご参加ください。
では、お会いできましたら現地で♪