そんな娘と、歯ブラシをしているときだった。
娘が私のお腹を歯ブラシでこすり始めた。
「歯ブラシしている時に遊ばないの。ちゃんと歯ブラシしなさい」と言う私に
「してるよ」と応える娘。
???
「ジョイちゃんの歯磨きしてるのよ。前歯よ~べろべ~よ」
娘は、ジョイスの歯をお腹の上から磨いていた。
私とのお風呂上りに、ジョイスに服を着せるのもお姉ちゃんの役目になっている。私は普段、大きなお腹を支えるために腹帯をしている。娘にとって、腹帯=ジョイスの服らしく、私が腹帯をしていないと「マミー!ジョイちゃんが裸ん坊よ。恥ずかしいよ~!」と腹帯を引きづりながら私の後を追ってくる。
私が横になって休んでいると、お腹の上にたくさんのオモチャがのる。きっとジョイスと遊んでいるのだと思う。
赤ちゃん見かけると、ジョイスみたいだねと微笑み、「もうすぐ、もうすぐっ」と言って、心待ちにしてる娘。
最近は、お姉ちゃんになるから食事のときのエプロンも着けたくない。保育園でも小さな子には、優しく接してあげているようだ。
保育園の先生や周りの大人にジョイスの話をし、「まなちゃん、もうすぐお姉ちゃんになるんだね」と言われて喜ぶ娘の姿を見る度に、私はいつも複雑な思いになっていた。
ある日、その複雑な思いを友人に吐いたことがある。
「まなみ、お姉ちゃんになれるのかな・・・ なれたらいいな~」
友人は言った「ジョイちゃんは、今生きているんだから、もう、まなちゃんは立派なお姉ちゃんだよ。」
その友人の言葉によって気づかされた。
今、娘はジョイスを大切に思い、お姉ちゃんをしているのだ。娘は、もうすでにお姉ちゃんになっているんだと気づかされた。お腹の中にいる妹の世話をして、遊んであげ、とても可愛いがっているのがよく分かる。
翌日、保育園に行き「今、まなみを お姉ちゃんにならせてあげて欲しい」と園長先生に話しをした。すぐに理解してくださり、その日から娘は、ジョイスのお姉ちゃんにすでになることができた。「もうすぐ~なる」ではなく、「(もう、すでに)お姉ちゃんなんだね」と表現を変えて言って欲しいとお願いしただけだが、娘にとっても私にとっても大きな変化だった。
「もうすぐ~なる」だと、ジョイスが生きて産まれ、ここにいなければ、お姉ちゃんになれないことになる。今、こんなに妹を愛しんで、お姉ちゃんをしているのに、死んでしまったら、お姉ちゃんになれなかったことにってしまうと思った。だから、娘の分かる形で、今からお姉ちゃんにしてあげたかった。そして、例えジョイスが天国に行っても、引き続きジョイスのお姉ちゃんなんだと思って欲しかったからだった。
妊娠4ヶ月のときに、園長先生にジョイスをのことをお話した。赤ちゃん、お母さんを選んできたんだね。頑張りなさいよ!と言ってくださった。夏場は、暑いじゃろ~。赤ちゃん生きとるんじゃな、すごいな~。ブログ読んだよ~と声をかけてくださる。伝えた日から、園長先生は影の応援団の一人になってくださっている。
それでもやっぱり、もしジョイスが旅立ってしまった時は、娘になんと言おう考えてしまう。
天国に行ったよと言って分かるのかな。それとも、3歳だからすぐ忘れるのかな。
ありがたいことに、娘はイエス様を信じている。だから、分かってくれるといいなと思う。昨夜も、天井を指差して「イエス様、今日はここにいないね~」と言っていた。教会を出る時に、誰かに手を振っている。誰に手を振っているの?「イエス様にバイバイしているのよ。バイバイ~」という。彼女にはもしかしたら、見えているのかもしれない。
娘の就寝前に、家族でお祈りをする。娘は、最近ジョイスのために祈るようになった。「神様、ジョイちゃんを守ってください」・・・
そして、ジョイスに(私のお腹に)ハグとキスをして「ILove you , ジョイス 」と言ってベッドに入る。
「まなみは、立派なお姉ちゃんだよ。今もこれからも。」
「心をいれかえて幼な子のようにならなければ,天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が,天国でいちばん偉いのである。」(マタイ18:3-4)