いわし雲の隙間から射し込む夕日は、心に染み渡るほどに美しい日がある。
ジョイスの誕生日を今日か明日かと待ちながら、ジョイスを想って、祈りながら見つめ続けた懐かしい秋空がまたやってきている。
来月10月5日は、ジョイスの一歳の誕生日だ。
ジョイス日記もまだ終わっていないのに、もうじき一年が経とうとしている。
次のジョイス日記では、ジョイスの亡骸が焼かれます。
長い間、書き殴りの日記を開くことができず、あの日に戻ることができなかった。私の心は、長く火葬場の入口で、背を向けて立っていた。
娘が骨と灰になったあの日に向き合うのがしんどい。
でも、書くことであの日のことをよく受け入れることができると思うし、ジョイスのことをもっと知ることができる気がする。
聖書にこのような御言葉があります。
「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。
そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。
そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」マタイ6:19-21
私たちが価値をおいているもの、大事なもののあるところに、私たちの心もある。
ブログを読んでくださっているジョイスのお友達の心はどこにあるでしょうか?
ジョイスの死が、私の心をしめるものになってはいけない。
それは、私が宝物のように抱え込むものではないですねよ。
心の中心に何があるかによって人の幸せは随分変わってきます。
だから、人の幸せは見かけでは分からないのですね。
しかし、幸いなことに、私の心は動き始めました。
神様に立ち帰り、英気を養うことができました。
小さな一歩だけれど、踏み出せそうです。
このようにして、娘の死を乗り越えて行くことができる。
必ず乗り越えられる。
私の信頼するひろ子先生は、聖書のある御言葉を教えてくださいました。
「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」マルコ11:24
アーメン(そう思ういます)。