長女とジョイスの対面。
夫が、娘(まなみ)を呼んで「ほら見てごらん。妹のジョイスだよ」と娘に話すと、娘は、夫の後ろに隠れて顔を出しジョイスを見て、恥ずかしそうな笑顔を見せた。私が娘に手を差し出すと、その手をつかみジョイスの近くに寄ってきた。 夫が娘に言う。さぁ言ってごらん。 夫に後押しされながら娘が小さな声で言う。 「Hi ジョイス、… アイム ユァ シスター」(こんにちは、ジョイス。私はあなたのお姉ちゃんよ)と言って、照れながらも嬉しそうな笑顔を見せた。その彼女の表情を見てた夫が、私の方に顔を向けて良かったと安堵の表情を見せた。 娘は、その一言をジョイスに言って、また恥ずかしがって部屋の隅に行ってしまったが、しばらくして自らジョイスのもとに戻って来て、「ほっぺ、さわってもいい?」と私に尋ねた。 いいよ と答えると、人差し指をそっとジョイスの頬に持って行き、なでるように優しく触れて「フワフワ〜♡」と小さな微笑みを見せて感想を言った。その表情は、はじめて妹に触れた緊張と恥らい、一方で嬉びも味わっている感じがした。 時間が経つにつれ、娘も慣れてき、「トントンしてもいい?」「ヨシヨシしたい。」と人形の赤ちゃんでずっと練習してきたことをジョイスにしてあげては満悦な表情を見せ、興味津々な様子でジョイスに顔を近づけて、「ジョイちゃん小さいね〜」「ジョイちゃんお帽子かぶってるね」と生まれたばかりの妹を見つめていた。 娘がジョイスの帽子のことに触れたので、透かさず「帽子はまなみのもあるんだよ。ジョイちゃんとお揃いの帽子をかぶろう」と伝えると、きっぱり、「No」という返答が返ってきた。 「まなみちゃんは、おねえちゃんだから、お帽子はかぶりません。お帽子はベービーだけっ!」と急にお姉さんになってしまった。 先日までは、ジョイスとお揃いだって喜んでかぶっていたのに、ジョイスを目の前にした途端に、急に成長してしまった。 ジョイスちゃんとお揃いのお洋服はどうかな?と尋ねると、それも同じ返答。 「おねえちゃんは、ベービーとおなじものは着ません!」 えぇ…そうなの。 まなちゃんは、いつでもお姉ちゃんだったよ。お腹にいたときも、今もお姉ちゃんだから着ようか?ダメもとでもう一度尋ねてみる。 … が、案の定「No--- ! 」の答えが返ってきた。 長女は、ジョイスが私のお腹にいたときからお姉ちゃんだったが、生身のジョイスを目の前にして、彼女の中のお姉ちゃん度が一気に上がったのだと思う。 子どもは、こういう空気全然読めないんだよなぁ。姉妹のペアルックを見たくて慣れない裁縫をして作ったのになぁ…。長女に着て欲しい私の思いもあるけれども、彼女自身の思いもあるから、それでいいっか。でも、ペアルック以上に嬉しいことがあった。 私たち夫婦は、娘がジョイスの外見を見て怖がってしまうことを少し案じていました。幸いにもジョイスは見た目にもとても可愛く産まれてきましたが(親の目から見て)、もしジョイスの目が突出していたり、顔の部位が無くなったりしていたら娘はびっくりするだろうと思っていたため、娘がジョイスのことを無理に可愛いと言わなくてもいいし、ありのままのジョイスを私たちが受け入れるように、娘のジョイスに対するありのままの感情も受け入れてあげようと夫と話して決めていました。 ペアルックを見ることはできなかったけれど、3歳の娘が妹の誕生を喜び、愛する姿を見れたことが何によりも嬉しいことでした。 何か物をもらって、こんなにボロボロと涙がでたのは久しぶりだった。
実家滞在中に、「ひーちゃーん、ネイスンー。クリスマプレゼント♪‘えへへ〜 ♡」とプレゼントの入ったまっ赤な靴下にもって、妹が私たちの部屋に入ってきました。 取り出したプレゼントの中身は、雰囲気のあるフォトフレームでした。バリ島かどこか南国のお土産かなと思いつつよく見てみると、なんとジョイスに与えられたみ言葉が英語で彫られていました。 “Every good and perfect gift is from above, coming down from the Father of the heavenly lights, who does not change like shifting shadows.” ‘’あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。”ヤコブの手紙1章13節 フォトフレームの下側には、夫、私、長女、ジョイスの家族四人の名前があることに気づき、妹に尋ねました。 「もしかして、これ彫ったの?」 「えへへ〜うん♡」 「すごい!でも、大変だったでしょう?」 「うん、まぁね♡ 毎日、ちょっとずつ彫ったよ~」 そして、妹がフォトフレームの右下の何も彫られてない部分を指さし、ここは次の子が与えられた時のために空けておいたと教えてくれました。二人分くらい名前が入るそうです。 あまりに感動して、私が棺に入るときはこれを入れて欲しいと妹に伝えると、 え、、、、っと、少し困った顔を一瞬して、また穏やかな力の抜けた笑顔を見せ、えへへーと部屋を去って行きました。 彼女のやわらかーい、ふよふよの心にとても励まされた実家でのひと時でした。 フォトフレームに入れる写真は、ただ今現像中… 楽しみです。 次回からは、ジョイス日記の続きをそろそろ再開しようと思います。 お正月は、お善哉(ぜんざい)に間に合うように岡山に帰ってきました。 お善哉は、教会の0歳~4歳の幼児教室の子どもたちと一緒に頂きました。 この日は、子どもたちとお正月恒例のかるたとりをして、ピアノの先生の弾く音楽にあわせて体操をし、私が担当する英語で「英語福笑い」をしました。 子どもたちが福笑いの顔のパーツを一つずつ持って「アイ」、「ノゥズ」、「マウス」と言いながら顔を完成させていました。これが面白いと幼児にも分かるようで、3歳児が顔を見合わせてオカシイよね〜くふふ♡と笑っていました。0歳児は、「ノゥズ」を食べようとしていました・・・。ちょっと難しかったようです。 子どもの脳は本当にスポンジのようです。すごい吸収力!そして彼らの適応力に毎回感心させられます。また、集団の中で我が子を見ていると、家庭では気づけないだろう娘の特徴に気づくことがあります。良いところも、教えてあげないといけないところも色々と見つけます。親の影響を受けているところも見受けられ、親の私自身が振り返る良い機会になっています。この日も娘がお友達と遊ぶ姿を見ながら、このマイペースさは私からだろうな…カメラを向けると変顔をするのは父親の影響を受けているだろうな…などと考えていました。 月に二回だけですが、天使みたいな0歳から、ちょいワルちびギャング2、3歳、少しお兄ちゃんお姉ちゃんになる4歳までの子どもたちとワイワイと楽しんでいます。 1、賛美 2、英語 3、絵本と紙芝居 4、リトミック 5、工作 6、手作りランチタイム(希望者のみ) 親子分のランチと珈琲は、ジョイスのお祝い会でも出動してくださったエプロン隊(おばちゃんたち)が作ってくださっています。毎回、愛情たっぷりで美味しいです。 子育てをしていると、あぁー難しいなと感じるときがあります。力が入りすぎて疲れてしまったり、自分の失敗に落ち込んだり、不安や知識不足を感じたり…。そんな中、子育てを終えたボランティアのおばちゃんたちが地域の親子を支えてくださるこのような場があることをありがたく感じます。私も微力ながら今年もお手伝い頑張ります。 子育て中の方、息抜きによろしければご参加くださいね。 都合の合うときにご参加ください。事前申し込み不要です。 クライストチャーチ岡山 対象 0~4歳 日時 第1、3 木曜日 10時半〜 11時半 費用 一回500円(親子分のランチ込) 幼児教室のブログで詳細をご覧ください。 ❀倉敷と茶屋町でも行っています。 平成27年11月7日(土)ジョイス天国への旅立ちお祝い会のビデオが出来上がりました。お時間のゆるす方、どうぞご覧ください。 ジョイスが天国にいることをいつも祝ってあげたいなと思います。 木村牧師のお話は41分20秒からです。とても励まされるお話しでした。 ☆再生画面の右下のCCを押すと字幕が出ます。 プログラムの流れや御言葉も見れるようにしていますので参考にしてください。 1賛美 2親族の挨拶 3賛美 4聖書からの奨め(木村牧師) 5ピアノ(久野まさみさん) & ジョイスの写真(Matt Baumgatner) 明けましておめでとうございます。 2016年、しっかり明けましたよ。クリスチャンにも喪中とかあるのかなぁ。 年末に広島で少し遊んで、関西で新年を迎えました。長女に雪遊びをさせようと思い、広島の山間部に宿をとり楽しみ向かったのですが、暖冬のため肝心な雪がありませんでした。 お正月には、病気でふらふら歩く父と、世話やき母と、いつも雲の上にいるようなふわふわの妹と、知的障がいのある姉とニシ家でボーリングに行きました。 (私の家族で、地が足についているのは、きっと母だけだと思う。) そもそもボールを投げることができるのかと心配していた父でしたが、 スコア180!?私は、47でした。 ボーリングの最中に定員が私たちのシートを何度も往復してくれていました。 姉が、携帯電話の使い方を定員に聞いていました。 お姉ちゃん、ここはアイフォンショップじゃないからね... 携帯が終わったかと思ったら、姉が、ドリングバーでグラスいっぱいに入れた抹茶ラテをご機嫌に持ってきているのを見ました。すぐに店員が駆けつけきてお勘定を... とお願いされるなど、なかなか興味深いボーリングでした。(姉は、抹茶ラテは、ボーリング代金と一緒に支払うのだと思っていたそうです。) 家族がそろってのお正月の団らん、何年ぶりだろう。20年ぶりくらいだと思う。 ジョイスの波紋がここに届いていました。神様の恵みの雨がここに降り注いでいます。 これから、新幹線で岡山に帰ります。明日、教会で振る舞われるおぜんざいに合わせてもどらなくては。 神様のされる計画は、思いもよらないことばかり!
今年もその計画を楽しみしたいと思います。 私なんて無理、こんな状況が変わるはずがない。おさき真っ暗。そんな風に感じてしまうこともありますが、神様は言われます。 神様は、荒野に道を設け、さばくに川を流すことができる。 神様の流される川のかたわらには、繁栄と命があります。 2016年、その川が、皆さまの中に、豊かに流れますようにお祈り申しあげます。 「川のかたわら、その岸のこなたかなたに、食物となる各種の木が育つ。その葉は枯れず、その実は絶えず、月ごとに新しい実がなる。これはその水が聖所から流れ出るからである。その実は食用に供せられ、その葉は薬となる」エゼキエル47:12 「見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。」イザヤ60:2 もぅ少し書きたいことがあるので、まだブログ書き続けます。 このブログを読んでくださっている ジョイちゃんのお友達のみなさん、 今年もよろしくお願いします♪ 追記:喪中についてお友達が教えてくれました。以下が内容です。 『キリスト者には、喪中って無いみたいです。もちろん、日本の伝統的なしきたりがありますから、キリスト者でも喪中葉書を出す方も多いですが、死は悲しみだけではなく、神様のもとに行くのだから喜びでもあり、クリスマスカードや年賀状を出さない必要はないのだよイエス様のお誕生はいつも喜びだからとある牧師が言っていました。』 死は寂しいし、その人を思うと涙も出るけれど、天国に行くこと言うことは喜ばしいことなので、やはり喪に服す必要はないようです。ジョイちゃん、今日も天国で楽しんでるだろうな。 |
15時間の人生ー無脳症のある赤ちゃんジョイス Heavenly Joyce - Our 15 Hour Miracle Baby ビデオ
ヘブンリージョイスとは
ヘブンリーは、「天の」 ジョイスは、「恵みから来る喜び」という意味。 この世で15時間生きた、私の娘の名前です。 娘には、無脳症がありました。 無脳症は、胎児の頭蓋骨が形成されなかったために脳が羊水にさらされて溶けて無くなってしまう奇形症です。 極めて短命で、生きて産まれてくるのも、産まれ出て少し生きることも、奇跡だと言われています。 いつも神の国に近い赤ちゃんがジョイスでしたが… お腹の中で 11ヶ月(44週2日)過ごし、 予定日(9/5)から 1ヶ月超過した H27年10月5日 午後6:35誕生 15時間生きて 10月6日 午前9:04に天国へ ”ヘブンリージョイス”となりました。 「ジョイちゃん、また向こうで会おうね♡」 私は名前:ニシひろみ 記事一覧
10月 2020
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