なぜジョイスを産む決断をしたのか、神様は私たちをどのように導かれたかを証しました。緊張していて舌が回ってないのですが・・・11分程の動画です。よろしければお聞きください。いつもお祈り感謝します! 妊娠9ヶ月のときに、教会で無脳症のあるジョイスについてお話しをする機会を頂きました。祈ってくださっている人々や神様に感謝を返す思いで、
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前回のブログにピクニックのことを書いていて気づいた。 長女が、ピクニックに行きたがっている!最近、長女のまなみが毎日レジャーシートを持って行動している。朝食をレジャーシートの上で食べたがり、保育園に行くときも、車にレジャーシートを持ち込む。一緒にベッドにまで入ろうし、取り上げたら泣いたことがあった。 今月から保育園に毎日通うようになり、彼女の生活もガラリと変わったはずだ。それまでは、気候のよい時は野外で、夏場は家のバルコニーにレジャーシートをしいてピクニック気分を楽み、娘はいつもレジャーシートの上でお弁当やおやつを食べることを楽しみにしていた。3歳で言葉にはできていないが、きっとピクニックがしたいのかもしれないと私はようやく気づかされた。 日曜日の教会のおやつの時間、 お友達がテーブルで食べているのに、一人レジャーシートをしいて食べていたと聞いて、前回のブログで涼しくなったらまた行きたいと書いたが、それを待たずに翌日ピクニックに行くことに決めた。 レジャーシートをどこにでも持参する行動は、言葉に上手にできない娘なりのうったえだったようだ。 前夜から明日はピクニックに行くと娘に伝えていたら、娘は目覚めとともにエプロンを取りに行き、準備万端で私たちが起きるのを待っていた。 私がエプロンをつけやると「くっくるんに変身!(クッキング番組の何か・・)」と言って、ルンルンでおにぎりをクチャクチャとにぎり始めた。娘にお弁当のおにぎりとサラダを担当してもらい、車で一時間程の川遊びができる公園にピクニックへ。川の水は冷たくて気持ちが良くリフレッシュされた~ その後、温泉に入り、農協で夕飯のお惣菜と旬の岡山ピオーネを買って帰路に着いた。 あれから二日、娘のどこへでもレジャーシートを持ち歩く行動はおさまっている・・今度は、変な行動が出る前に、また連れて行ってあげようねと夫と話した。 まだ3cmのジョイスが生きない子だと診断された夜、夫が神様に祈り与えられた御言葉をジョイスのセレモニードレスに刺繍した。 1:17 あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。 Every good and perfect gifts come from the Father of Lights who dose not change like shifting shadows .James 1:17 頭のないわが子のエコー写真を見て、夫は言った。 どんな形でもこの子が神様からの与えられた私たちへの美しいギフトだと。それは、完全であり変化されたものでも、影のあるものではない賜物なのだと。 夫の純粋に神様を愛する信仰に支えられてきた。 み言葉の周りに、星を散らばせた。神様がアブラハムに見せた約束の満天に輝く星をイメージして縫い付けてみた。ジョイスもこの契約の祝福の中にいる・・・ 聖書の中に出てくる、アブラハムという老人の話しを読むとき、いつも励まされる。アブラハムとその妻・サラが、神様を信じるとはどういうことかを何度も教えてくれた。 アブラハム百歳、サラ九十歳の間には子どもがいなかったが、神様がサラは男の子を産むだろうと言われる。九十歳なんて、私の祖母の年齢だ・・・でも、彼らは信じて子どもが与えられた。 聖書には、アブラハムの信仰をこのように書いている。 彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。そのために、「あなたの子孫はこうなるであろう」と言われているとおり、多くの国民の父となったのである。 すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。ローマ4:18-19 『現実を受け入れた上で、それでも神様を信じる。信仰と現実は別ものである。』私の教会の牧師が言っていた。 妊娠3ヶ月に入ってすぐに、ジョイスの頭蓋骨がないことが分かった。形成されるように祈っていたが、頭蓋骨は形成されなかった。すると、羊水の中で脳が溶けはじめた。どんどん死へと向かうわが子の現実をずっと見続けてきた。妊婦検診のエコーでジョイスを見て、「まだ頭が出来てない...」と呟いた私に、医師は「残念だけど、もう出来ない。決して、出来ることはないんだよ」と言った。 それが、現実であり、医学書に書かれている事実である。でも、私のテキスト(聖書)には死人を生かし、無から有を呼び出される神様のこと、イエスキリストという方が、目の見えない人や病人を癒し、たくさんの奇跡を起こされた事実が書かれている。 だから、私たち夫婦は、現実を認めた上でジョイスの脳と頭が形成されることを待っています。そして、この世で私たちと共に神様の内に喜び、また神様に従うものとして生きれるようにと祈っています。 ジョイスは生きないというこの世でいう事実を受け止めた上で、真の神様が起こされる奇跡を信じています。 そのため、37週に入った今でもエコー画面に映るジョイスを見る度に「出来たかな?イエス様、ジョイスの脳作られたかな?」と期待してしまう。 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。(ヨハネ15:7) わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである。(ヨハネの手紙第1 5:14) ジョイスが生きることが、神様の御旨かどうかは分からない。神様は、ジョイスを産む想いを私たち与えられたが、その後のことは語られない。だからこそ、祈り求めたいと思う。 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。(マタイ7:7-8) しかし、ジョイスがこの世で生きることや新しい頭が与えられることが、神様の計画ではないのなら、それはそれで受け入れようと思う。神様の御旨は別にあるのだから、それを待ち期待しようと思う。。 来週の土曜日が予定日です。あともう少しです。 無から有を呼び出される神様を信じて、ともにお祈りいただければ幸いです。 皆さんに本当に感謝です! ~私の好きな聖書箇所です~ さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。(ヘブル11:1-2) 信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。信仰によって、ノアはまだ見ていない事がらについて御告げを受け、恐れかしこみつつ、その家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世の罪をさばき、そして、信仰による義を受け継ぐ者となった。 信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。 信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。 このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。(ヘブル11:6-13) 私の憧れは・・・それは、娘たちに姉妹でおそろいの服を着せてあげること。小さな子がおそろいの服を着ているのがとても可愛いと思う。 娘二人の服を買うために、お店を回ったが、デザインより素材重視の新生児の服と3歳児が着れるお揃いの可愛い服は見つからなかった。 ドレスコーナーならあるかと思ったけど、ナイロンやアクリル製などで新生児に着せれる素材ではなかったので、結局、手作りをすることにした。 洋服なんて作ったことがないから、何かベースがないと・・・と思い、ジョイスを基準に赤ちゃんが着るもの=ロンパース(つなぎ服)でとりあえず西松屋に行った。 お店に行って、ジョイスの服のベースになるロンパースは見つかったが、3歳児のサイズのロンパースは売ってない!・・・ ロンパースを土台にスカートを縫い付けるので、胴の長さは下は切り落とすから関係ないということで、長女用にはちょっとぴっちりだけど普段より15cm小さいサイズのロンパースを土台にした。 一般的に、赤ちゃんが産まれたら、その病院の産着をレンタルするのだが、ジョイスはどれくらい生きるか分からないので好きな服を持参したらどうかと看護師さんが提案してくれたことが、私の憧れを形にするきっかけとなった。 検診に行くと、時々その看護師さんにあたる。血圧を測ってもらった後に、ジョイスの万が一の備えについて色々相談にのってもらう。そして、必ず彼女が最後に私に言う。「幸せな赤ちゃんですね。愛されてますね」と。 神様が喜んでいなさいというから、上を見上げて喜ぶようにしている。神様がいるからの前提の喜びと幸せが私の心にはある。まだお腹にいるジョイスは神様に形成されてい途中で神様のとても近くにいるから幸せなはずだ。一方で、私も母親として何かジョイスにしてあげたいので、いつもジョイスが幸せで安心していれるように、私も幸せな思いであるように努力している。また、日々ジョイスを想い、たくさん愛が伝わるようにしている。 その看護師さんは、私が母親としてジョイスに感じてほしいこと「幸せ」と「愛」を言ってくれる。それが、まるで「お母さん、ちゃんと幸せにしてあげれてるよ。愛してあげれてるよ。」と言われているような気がして、とても自己満足なのだが、その一言にホッとさせられることがある。 縫い終えた二人の服を手洗いしている時に、子どもの頃の記憶がよみがえってきた。昔、私もこうしてお揃いの服を母から手作りしてもらって着せてもらっていたな・・・と。毎年、私たち三姉妹のピアノの発表会が近くなると、母が夜遅くまで起きて、ミシンを動かしていたのを思い出した。手作りの服に包まれるとき、母の愛を感じて、とても嬉しかったのを覚えている。発表会の日、いつも可愛いリボンを髪の毛に結びつけてくれたのも思い出した。 子どもを持ってから、自分が母にしてもらって嬉しかったことを娘にしてあげていることに気づくときがある。一番好きだったのが、母と私の二人だけて行くピクニックだった。家の前の公園に、お弁当とレジャーシートを持って行き、木陰で優しい風を感じながら食べるお弁当が大好きだった。 でも、気づけば同じ事を娘にしている私がいる。今は暑すぎるが、気候のよい時は公園に行ってお弁当を食べる。時間がなくて、おにぎりだけのお弁当であっても外で食べるのは特別らしく、娘は満足そうに食べてくれる。出産が終わり、涼しくなったら、また娘たち(長女とジョイス)と一緒にピクニックに行きたいな。 完成した服を長女に見せると、「イチゴのプリンセスドレス」だと喜んでくれたが、自分には帽子がないと言い始めた。ジョイスの帽子は頭を守る目的で作ったが、長女もかぶりたいようなので、リクエストに応え大きなリボンのついた帽子を追加で作った。娘二人のペアルックを見るのが楽しみだ~ 助っ人がやって来た! (妹がやってきた!) スーツケースにリュックサック、紙袋2つに、母の手作り餃子をにおわせながら関西から2時間半かけてやってきた。 大荷物の中身は、母から持たされた、たらみのゼリー、野菜ジュース、アンパンマンジュース、ソーセージにハム・・・ お母さん、ここでも買えますが・・・ 気持ちがありがたいので感謝します。 今回、彼女のおかげで出産準備(私編)が完了した。最後の出産準備は、私の散髪だった。 2年間伸ばした髪を切り、ヘアードネーションをしているNPO法人に髪の毛を送ることができた。31cm以上でどんな髪でも医療用のウィグにするために寄付することができるそうで、妹のおかげで叶った。(JHDAC) 2年前にヘアードネーションのことを伝えると、私の髪を将来使ってくれる人のためにと、1万円を超すシャンプー・リンスを職場から買ってきた妹。今まで、380円くらいだったので、私の髪の毛はびっくりしたと思う。 いつも、そんな妹の予測不能な行動に驚かされる。 今回、病院の検診に付き合ってくれ、36週から聞くことができる胎児の鼓動を一緒に聞きに行った。ジョイスの心音を聞き始めて5分、妹が頭を振り始めた。ジョイスの心音と時々動くときに聞こえている雑音が合さり、音楽のようだという。ジョイスがリズムを取っているようだねっと、心音のビートに合わせてノリノリで首を振っている。 わが妹、大丈夫だろうか・・・ 笑 私たちの共通点は、二人とも非常にスローなことだ。そのため、二人が揃ってしまうと、さらにゆる~くなり、毎日が日曜日みたになってしまう。 一概にスローと言っても色々タイプがあり、私は、スローなくせに周りにはせっかち(嫌な感じの人です。自覚してます。)一方、妹は、スローだが人にも穏やかで、驚くほど寛容だ。5歳違いの妹だが、子どもの頃から、あまり喧嘩したことがないし、妹が怒っているところをめったに見ない。 妹を見ていると、いつも思い出す御言葉がある。「愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。」ヤコブ1章19節 妹がいつも受身で寛容なため、娘(まなみ)は、妹を捕まえると永遠に話し続ける。英語、日本語、擬音語のごちゃ混ぜでしゃべる娘の話しを、妹自身はあまり理解してないと思うが、30分、1時間、うんうんと聞いていあげている。私には出来ない・・・ 世の中の人は、自分が中心だけれども、彼女は人にライトを当ててあげるのがとても上手な人だ。 娘と妹が遊び始めると、「まなちゃん、やめて~」の後に、娘のケラケラという笑い声が聞こえてくる。3歳児に負けそうな感じの妹だが、今回は我が家にとってとてもパワフルな助っ人だった。 出産準備が整っただけではなく、夫とのデートも叶った。また、夫が古い友人に会うために遠出したり、好きなゴルフに行ったりし、久々に夫が羽を伸す姿がみれて嬉しかった。 一週間滞在し、主婦業と子守りをしてくれた妹は、「ひーちゃん、また来るね。えへへ~・・」と言って、来たとき同様の10cmを超えるヒール姿でお盆中の満員電車に揺られてながら帰っていった。妹・・・ありがとう。 今日は、どこかの波に乗ってるそうだ。外は、大雨だけれども大丈夫だろうか。やはり、彼女の行動はよく分からない・・・ CD「JOYCE」の作曲者の久野まさみさんが、8月2日(日)クリスチャン新聞に載っていました。 久野さんは、妊娠当初から、ずっと私を支えて続けてくれている友人の一人です。神の国に近いジョイスが本当に美しく思うと言って、いつも励ましてくれます。
高校の同級生として出会った彼女ですが、自分をジョイスの叔母だといって、たくさんの祈りと愛をわが子に与えてくれます。それは、言葉だけでなく、たくさんの行動でも表されました。それは、わが子が本当に神様の子であり、神様からの賜物だと信じる彼女の信仰からくる行動なんだといつ感じています。 記事に書かれている、神様のことだけを思って弾いた、神様に捧げたCDという彼女のコメントを読んだとき、久野さんだなぁ~と思いました。なぜなら、彼女がピアノを語るときいつも言うことだからです。ピアノは神様から与えられたものだから神様に捧げるのだ、神様の御名があがめられれば幸いだと言います。 CDのタイトル、収録されている曲『JOYCE(ジョイス)』は、無脳症と診断されたわが子の名前からとられています。でも、この曲は、決して私の赤ちゃんに捧げられたものではなく、神様に捧げられた賛美歌です。ジョイスの名前「恵みからくる喜び」という意味と彼女のイメージがぴったり一致し、彼女が祈ったときに、わが子の名前をタイトルに用いようという思いが与えられたそうです。 私は、このCDを聴くとき、神様のことを考え、まだ胎にいるジョイスのことを想います。そして、私たちに永遠が約束されていることに、毎回喜びを感じます。 久野まさみさんの祈りと賛美の中で弾かれたピアノがたくさんの人に、神様を覚えさせ、喜びと平安を与えられることをお祈りします。 夫とともにジョイスに会いに行き、彼女の肉付きのいい可愛い顔をみることができた。 羊水過多の原因かもしれない嚥下機能の低下(飲み吐きする行為)を心配していたが、嚥下をしているところをエコーで確認することが出来た。羊水量は今も多いが、特に前回から増えているわけでもなく少し多いだけなので大丈夫そうだ。母体の体重は一般的に、10kgまで増加していいと制限があるが、後4週間を残して、10kgの制限に達してしまった。体重が増えると、産道にも肉が付き胎児が出にくくなるから気をつけ、来週からは床の雑巾がけを再開しようと思う。 胎児の体重を測定するには、頭の大きさを打ち込まないと出ないらしいが、腹回りが少し小さいだけで順調に成長しているためて、頭の重さを少し引いて2000gくらいかなとジョイスの体重を教えてもらった。 主治医と、もう35週なんだね。あっという間だったねと話した後、夫が一緒だったのもあるのか、出産時のリスクについて新たな説明があった。 医師は、分娩時にジョイスがどのような体勢で出てくるか分からないことを心配していた。ジョイスが首から出ようとすると大変だという。顔をおへその方をみるような体勢で首が先になると、産道につっかえてしまうらしい。そうなると胎児が産道をふさぐので、お産が進まなくなってしまう。その状況になってしまった時は、致死の子のために、母体を切るか(帝王切開)、胎児をつぶしてしまうかの相談をしなくてはならないという。 健康な胎児は一番大きい頭が産道に道を作るが、頭が小さいから道を作れず時間がかかるかもしれない。頭より体が大きい場合は、体がつっかかってしまうかもしれないなど、無脳児ならではの分娩時に起こりうるトラブルについて説明を聞いた。 実例として、胎児の体が産道につっかかり、母体を守るために、すでに死んでしまっていた胎児をバラバラにつぶしてしまい子宮から取り出した例もあるそうだ。死産だったため、帝王切開のリスクを避けた方法らしい。 医師は、逆子で産まれて来たほうがいいのかもと言っていた。首から上が小さいので、逆子で心配される頭が産道につっかえることがないので、逆子であればお尻からひっぱり出せるからとの理由だった。 私たちの主治医は、大丈夫だとは言わない人だ。現実を分かりやすく丁寧に教えてくれ、とても慎重で細かくストレートだ。でも、誠意を持って私たち向き合ってくれているのが分かり、有難く思う。 とりあえず、医師いわく、どんなお産になるのか分からないそうだ。 私の周りのママたちは、みんな口を揃えて、二人目は出てくるの早いよ~と言っていたので、長くかかるかも・・・の医師の言葉に大きなため息がもれる。 今は、ただただ、スクワットと雑巾がけ頑張るしかない。 検診が終わってから、夫と相談した。 「ドクターが逆子の方がいいって言ってたね。」 「どうする?ジョイスにもう一度回るように言う?」 「こないだ、頼み込んで回ってもらったばっかりだよね」 「ジョイスに、ごめん、間違いだったって言う?ドクターがさぁ~って感じ で?」・・・・ 「もう体も大きいから、えぇ~っまた~!?って感じかな」 「・・・じゃあ、成り行きにまかせる?」 「そうだね」 夫のいつも笑いを忘れない感覚が好きだ。どんなシリアスなことも、夫がいると軽く受け取れられてしまう。 知らないこと、経験したこのないことを考えだすと、心配ばかりがつのり、ネガティブになるから、とりあえず成り行きに任せることにした。 35週に入ったジョイス。来週からは、正期産に入る(いつ産まれても良い時期)。この日は、羊水を飲んだり、口をもごもごさせる姿を見ることができた。
出産を一ヶ月前に控え、長女を保育園に入園させた。 私たちの両親が遠方に暮らしていることや、足の神経痛が増してきたこともあり、保育園の入園を決め、今日で通い始めて一週間が経とうとしている。 長女が10ヶ月の頃から、私に用事があるときは一時預かりで定期的に通っていたこともあり、楽しんで保育園に通ってくれているようだ。 毎朝、i have five friends !(友達が5人いるのよ!)と言って、10人以上の友達の名前を教えてくれるのが日課になっている。入園して一週間、毎日プールに入れてもらい、セミ捕りに連れて行ってもらったり、スイカ割りや、園庭の野菜でお料理を作ったりして家庭ではできない色々な体験をさせてもらっているようだ。 保育園に娘を迎えに行くと、マミーっと大きな笑みを浮かべて走り寄ってき、先生に挨拶することも、使っていたおもちゃを片付けること忘れ、今日したことを目を見開いて、腕をぐるぐる回しながら、弾丸のごとくに私に教えてくれる。たった一日で、たくさんの言葉を覚えていて、保育園に迎えにいく度に彼女の成長に気づく。 一方、彼女が毎日いない生活に慣れない私。一日に何度も時計を見て娘を思い出す。11時近くなると、そろそろお昼ご飯だな。お昼寝の時間かな。おやつを頬張ってる頃だな… いつも彼女中心で回ってきた3年間の生活、仕事もしていない、何の用事もない、急にぽっかりできた一人の時間にまだ慣れない。 保育園に娘を預けた後は、いつものペースで掃除や洗濯物を干し、台所のことをする。娘がいたときは、彼女を見ながらバタバタと慌ただしくそれらの家事をこなしていて、娘が保育園に通い始めてからも同じ感覚で家事を忙しくすませてしまう。でも、すべて終わって…あれ、まだ10時半なの?と気づき、さて・・これから何をしようと思ってしまう。 出産前の大切な時間を長女と過ごすために、パートも早めに休みに入らせてもい、決まっていた月極め保育を辞退して娘との時間を確保してきた。でも、この二ヶ月間は、お腹が張りがちで息苦しく、お腹が大きくなるのに比例して足の神経痛の症状もひどくなってきていた。一日中足がしびれ、夜も熟睡できず夜中に何度も目が覚める。最近は娘と遊んであげるのが肉体的に辛くなっていたので、保育園に娘が毎日通うようになり、本当に体が楽になった。 世間が反対する中でジョイスを産む決断をした。長女への母親としての責任はどうなのかと問う人もいた。出産前に娘とたくさんの時間を過ごすことが、長女にできるせめてのことだったから、あの決断の日から娘との時間を大切にしてきた。 でも、今からは出産を目前に控え、万が一のために娘を新しい生活に慣らしてあげるのが、私のしてやることだと思っている。 この出産は、奇形ならではのリスクもあるという。出産が長引いたり、緊急時の帝王切開や万が一を色々と考慮しなくてはならない。もし、私に何かあれば娘は今よりも数時間長く、夫が働いている間保育園にいることになり、家に帰っても私はいない。たくさんの困難に出会うだろう。そうはならないことを祈っているが、すべては神様の良い計画なので分からない。だから、その場合にも備えて、彼女が自分の居場所と思えるように保育園の生活に慣らしてあげていたい。 そのため、あえて早い時間に迎えにいかないようにしている。でも、夕方に迎えに行った後は、娘がベッドに入るまでたっぷり娘に付き合うようにしている。 最近では、保育園から帰宅したら、娘はまずお風呂に入り、その日の気分で選ぶピンク色やヒラヒラした服に着替えて、プリンセスやバレリーナに変身する。「マミーもプリンセスになって」と私にもスカートをはくように言ってきて、二人でお風呂の後にパジャマではなく可愛い服に着替えて、音楽をかけてクルクル家の中を踊り回るのが我が家の流行りになっている。 ダンスが盛り上がってきた頃に夫が帰宅してくるので、時々夫も巻き込まれてしまう。夫は、なぜかプリンスではなく、なぜか彦星様と呼ばれ、私よりさらに激しい踊りをさせられる・・・笑 娘と夫の滑稽なダンスと笑い声を聞きながら、夕食をテーブルに並べるとき、なんと平和なんだろうって感じる。 娘が保育園に通っている間、何がしたいか考えてみた。 たくさん聖書を読み、祈りの中で出産まで心を整えたい。また、おいしい夕飯を家族に準備してあげたい。ジョイスの服の刺繍がまだ終わってないので、早く完成させようと思う。8月は休みの取りやすい夫と二人だけでデートにも出掛けたいと思った。明日は夫と二人でジョイスに会いに行く (妊婦検診に行く) |
15時間の人生ー無脳症のある赤ちゃんジョイス Heavenly Joyce - Our 15 Hour Miracle Baby ビデオ
ヘブンリージョイスとは
ヘブンリーは、「天の」 ジョイスは、「恵みから来る喜び」という意味。 この世で15時間生きた、私の娘の名前です。 娘には、無脳症がありました。 無脳症は、胎児の頭蓋骨が形成されなかったために脳が羊水にさらされて溶けて無くなってしまう奇形症です。 極めて短命で、生きて産まれてくるのも、産まれ出て少し生きることも、奇跡だと言われています。 いつも神の国に近い赤ちゃんがジョイスでしたが… お腹の中で 11ヶ月(44週2日)過ごし、 予定日(9/5)から 1ヶ月超過した H27年10月5日 午後6:35誕生 15時間生きて 10月6日 午前9:04に天国へ ”ヘブンリージョイス”となりました。 「ジョイちゃん、また向こうで会おうね♡」 私は名前:ニシひろみ 記事一覧
10月 2020
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