頭蓋がない(頭骸欠損)から
脳が溶けて無くなる(無脳症)へと進行していく
重症な奇形で、必ず死ぬことが決まっている。
娘をベッドに入れるまで、なんとか気持ちを保つよう努めた。
その後、夫婦はそれぞれ別室で神様に尋ね求め、泣いて、泣いた。
私には、決断するほどの勇気も、信仰も、知恵もなく途方にくれて開いた聖書に
「あなたがたのうち、知恵に不足している者ものがあれば、その人ひとは、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」 ・・・どうしたらいいか教えてくださいと祈り求めた。
明け方、泣きはらした顔でベッドに入ってきた夫は、
一言だけ”やはり命なんだ”と私に言った。
夫は、別室で夜遅くまで無脳症について調べ、数例の生きた無脳児の記事を読んだそうだ。
昨晩とこの夜と、ベッドに入ると赤ちゃんがお腹の中で動いた。
3ヶ月で胎動が感じられるはずなんて、理論に反するのも分かっているし、赤ちゃんではなく気泡だったのかもしれないが、子宮の中で ポコポコ ポコポコと ”生きている!ここで生きているよ!”と私に訴えるかのよな神秘的な動きを二日間連夜感じた。
神様が心を備えてくださる
病気の疑いを伝えられてから、ずっと思っていた。
奇跡が起こるかもしれない!
医者が頭蓋骨の形成は望めないといっても、奇跡はあるし、私たちを創った神様が許せば形成されるかもしれない。そうだ、形成されるまでの間、脳が溶けないように祈ろうと思った。
その夜、ある産科科医が書いた無脳児を産んだ二児の母についてのブログを読んだ。
そこには、生きた長さは関係ない、短いも長いも、それがその人の生きた人生だと書かれており、その母親は出産後に神に出会った気がしたと言ったそうだ。
まだ私の胎にいるこの命も、1秒の命、3秒、10年、30年、60年、100年・・・ただ長さが長いか短いかだけで、神様の永遠の領域からすれば、どの命もこの世で生きる同じ命だろうと思った。
やはり、この子をこの世に送り出さなければなならいと強く思った。
神様を信じる者として、神様との約束を守りたい思いもあった。
聖書の中で、神様は「あなたは殺してはならない。」言われている。
出エジプト20:13
また、このようにも書かれている。
「人が誘惑に陥いるのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。 欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出だす。」
神様は、殺してはいけないと言われているのに、中絶を選択肢に入れていたのは、自分の身を守りたかったからだった。自分の命を愛するばかりに、罪を生み、この小さな命を殺してしまうところだったと気づかされた。我が欲のために、罪をはらみ誘惑におちるなと神様は御言葉を通して教えてくださった。
最後に生む決断となったのは、この子は神様に求めて祈り与えられた子であったからである。だから、災いではなく神様の計画のうちにある良いものなのだ。
私を愛する神様が、子どもが欲しいと祈る私に、石や蛇や悪いものをくださるはずがないと知っていたからだ。
「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」マタイ7:9~11
夫は、私が決断するまで決して産んで欲しいと言わなかった。そして後で、「大変な思いをするのはあなただから、あなたの決断を尊重したかった」と言った。確かに、私も夫に決めて欲しくなかった。もし、私に何かあれば夫が苦しむことになるから、まず最初に私が決断したかった。だから、私の意見を尊重して決断を待ってくれた夫の気持ちが有難かった。
産みたい!と夫に伝えると、泣き顔の上に、また涙を浮かべて私を抱きしめて言った。
”僕も産んで欲しいよ。この子は、僕だちの子であり、神様からのギフトなんだ。たくさん愛してあげよう” と言い、私に一つの聖書箇所を与えてくれた。
「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。」
ヤコブ1章17節
夫は、この頭のない胎児を神様からのよい贈り物、完全な賜物だと初めから思っていたのだ。そして、彼は、このようにも言った。
”我々は日々、神様からたくさんの恵みを頂いている。この恵みは受けるが、自分の目に不都合な恵みは受け取らないっていう訳にはいかないと思う。”
夫の一番好きな御言葉は、”恵み” だった。彼の結婚指輪に彫られた言葉も、
Grace(恵み)だったなと思い出した。
こうして、私たち夫婦の涙の2日間は終わった。
神様を信じて出した答えの後は、晴れやかで、とても祝福され満たされた気分だった。それが、「それで良い」と神様に言われているように思えた。