今日もお腹にいるジョイスとともに踊り、賛美をして来ました。脳がほとんど無くなっていても、音を聞く部分は最後の方まで残るようで、ジョイスは音も人の声もとてもよく聞こえているようです。賛美中に音楽にのり、手足を伸ばして私の胎の中で踊り狂う娘。激しすぎる~と、笑ってしまいます。私たちが話しかけると動いて反応し、長女が私のお腹を枕代わりに寝てしまうと、長女の頬をひっきりなしに蹴るジョイス。重い!のけ!のけ!と言わんばかりの連続キックです。
一日の間に、何度もジョイスに笑わされ、本当に脳がないのかなぁと思ってしまいます。
あなたは、「癒しの奇跡」を信じますか?
神様はいると思いますか?
あなたを造ったのは誰だと思いますか?
私は、たった2cmのジョイスの体にパクパクと動く心臓を見たときに、人間には成せない業を目にして、創造主がいることを改めて思いました。
私は、癒しの奇跡を身近に体験したことがあります。
長女が一歳の頃に、そけいヘルニア(脱腸)が見つかり手術をした。手術が決まった日から、イエス様の癒しと守りを祈り、教会メンバーにも長女のために祈ることを頼んだ。
手術を終えて、出てきた医師の言葉は一生忘れられないだろう。
「手術で開けたら、ヘルニアは無くなっていてました」「でも、痕跡は残っていて、皮の袋が残っていたので、取り除いておきました」との報告だった。
あまりにもショックで言葉を失った。
自分に本当に腹が立った。
「癒しの奇跡を起こされる イエスキリスト」の名前で長女の癒しを祈りながら、手術前に医師に娘が癒されているかの確認を頼まなかった・・・
その、自分の信仰の薄さに怒りを覚えた。何のために、祈って欲しいと皆に頼んだのか!なぜ、私は神様を信じなかったのか!
医師は娘の今後を考えると、袋の処理はしていて良かったと言われたが、神様は確かに癒しの御手を娘に置かれていたのだと思うとき、神様と娘に本当に申し訳なく思った。
私の愚かさのゆえに、一歳児の体にメスを入れることを許してしまった。
小さな手に点滴を打たれ、麻酔の副作用で熱を出して、全身を真っ赤にしてベッドに横たわる娘の姿を見て、神様と娘に自分の信仰のなさを謝った。「ごめんなさい。ごめんなさい・・・」
娘がイエス様を信じるまでは、娘が暗闇を歩き穴に落ちないように導いてあげるのは、イエス様の光を知る親の役目だと思う。でも、親に信仰がなく、足元が見えずに歩いていたらどうだろうか。
聖書に「父と母とを敬え」と御言葉がある一方、こんな御言葉もある。
「盲人が盲人を導くなら,両方とも穴に落ちてしまうだろう 」マタイ15
麻酔で寝かされている娘に、「お母さんは、イエス様の光の道を歩き、あなたをイエス様に導けるようにします。二度とこんなことがないようにします」と言った・・・私の苦い記憶である。
この他にも、いろいろな奇跡を耳にする。最近、鳥肌の立った話といえば、私の親友の教会メンバーは悪性の脳の癌が癒されたという。私もその教会に何度も遊びに行ったことがある。彼女が、神様にすべてを捨てる思いで委ねて祈ったときに、癌は短期間に完全に癒されたという話で、ジョイスに奇跡を祈るときに、また決断をするときにもよく思い出して励まされた。彼女の癌が癒されてたら、二年近く経つがいまだに再発はしていないそうだ。
今日、私の隣りに癒しの奇跡を切に祈る人がいた。私の母だ。
闘病中の父のため、障害のある姉のために、ジョイスのために、両手をぎゅっと握り合わせ、みけんにシワを寄せて頭を垂れて祈る、彼女の苦しみと痛みの祈りを横で感じて涙が出た。母は最近、祈りたいと言って教会に通い始め、イエス様のことを知り始めた。
母は、出会うクリスチャンに、奇跡はありますか?と聞き回っていると、妹から聞いた。
昨夜も、奇跡ってお母さんにも起こるのかな。特別な人にだけに起こるのものかなと呟いていた。
私は、特別な人だけに起こるものではないと思う。
神様を信じて祈るものに起こると思っている。また、計画を持って神様によって起こされるものだと信じている。
またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」(ヨハネ9:1-3)
隣りで、必死に祈る母を見て思った。
「イエス様を完全に知らない、あなたにとって、これはどれだけの重荷であろうか。重いだろう。辛いだろう・・・」
イエス様が言われるように、母が、イエス様にその重荷を早く明け渡せますように。イエス様、母の肩代わりをし救ってくださいと祈った。私も、この御言葉を聞いた一か月後にある人を許し、クリスチャンになった。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28〜30)
神様を信じて祈るとき、奇跡が起こされることがあります。イエス様が癒しの奇跡を起こされます。今、切なる願いを持たれている方、一緒に祈りましょう。重荷を持っている方、その重荷を肩代わりしてくれる方に明け渡しましょう。
悩みや苦しみに大小はないでしょう。私は、ジョイスがいますが、あなたが一緒に祈りたいのならば、ともに祈ります。
私は、毎週、日曜日に「クライストチャーチ岡山」にいます。待っていますね。(来週はきっと病院にいますので、会えませんがね・・・ )