母体の体調は良好。血圧、体重も平均。
モニターの結果、ジョイスもしっかり鼓動を鳴らしていた。
主治医が、内診時にジョイスの頭に触れ、ジョイスは驚いたようで、頭をブンブンと振り、体を揺さぶっていた。
カーテンを一枚隔てて、主治医がいつもより大きな声で話す。
「もう、ゆるいわ!」「 これは、近いよ!」
内診室から出て、主治医を見ると笑顔を浮かべて「もう近いわ。今週末の出産もありえるかもな」と言った。いつも現実的でシリアスな私の主治医、こんな表情を見せてくれるんだと内心、少し思ってしまったのだが、彼が、もうじきジョイスが産まれてくるのを喜んでくれているのを感じ、その思いを共有できて嬉しかった。
ジョイスの頭の感触を尋ねてみたら、 「硬かった」と言った。
普通であれば、丸い頭に触れるのだが、頭でも脳でもない、硬い感触だった。きっと骨を触ったのだろうと言っていた。
セカンドオピニオンでこの病院を訪れた日から、彼が私とジョイスの主治医になった。夫が外国人なのを知り、英語の資料を用意して二時間ほどの面談をしたのが始まりだった。ジョイスがいつも死と背中合わせな胎児であること、日本で自らの意思で産む人がほぼいないため、主治医には私たち夫婦がどうしても出産する!と、産むことにこだわるのに理解できないといった感じで、診察室の雰囲気はいつも重かった。
一方で、主治医が、私(母体)の安全を本当に心配してくれていのも分かっていた。産むことを夫から強いられているのではないかと心配し、夫と直接話そうとまで言っていた。私たち夫婦は、主治医の経験や知識だけでなく、誠実さ、慎重さ、率直で現実的なところ、そして何より、いつも母体を守りたいと言い続けてくれたことに信頼を置くことができた。
でも、22週を超えて中絶が出来なくなってからは、診察室の雰囲気は少しずつ変わり始めた。お互いに22週を超えたら開き直るしかない。世間話をし、冗談まで言うようになった。そして、今日は笑顔を見せて、間近に迫ったジョイスの誕生をともに喜んでくれていた。
今日の世間話しの一部は、主治医が、私の父に似ているという内容だった。顔もだが、雰囲気や話し方、冗談も。冗談は、相手が「今の冗談?笑ってもいいの?」と言う感じで、急にボソリと言う感じがとてもよく似ている。笑 妹も母も認めるのだから似ているのだと思う。
それを主治医に言ったら、「どう反応していいのか困るんだけど〜」 と、とても率直な反応。
「確かに、そうですね」と言いながら、また二人で笑った。
実は、主治医と会うのは、来週が最後になる。10月からは、事情により外来から外れるそうだ。
「ジョイスを 初めから診て頂いたので、最後まで見届けて欲しいと」伝えると、
「そうじゃな。」「じゃあ、病院内のどこかにはいるから、産まれたら誰かに伝えてくれる?」
産まれたら、ジョイスに会いに来てくれてそうだ。
ジョイスを一番よく見て、知ってくれている主治医には、最後まで見届けて欲しかった。エコー画面越しではなく、直接会って欲しかった。
出生証明書についても、ジョイスの心臓が動いていたら書こうねという話しになった。
私たちは、ジョイスにこの世で生きたという証明が欲しかった。ただの紙切れなのだが、私たち夫婦の次女として、この世にいたことを戸籍に名前を載せるということで形にしたかったのだ。
戸籍に名前を残すためには、出生証明書が必要だった。
死亡証明書だと、死産扱いになり、戸籍に名前は載らないのだ。
この出生証明だが、少ししか生きなかった子には書いてくれない医者もいるそうだ。そんなの昔の話だと思って、ある医師に尋ねてみたことがある。
その医師の返答が衝撃的だった。「数時間しか生きないとか、分娩室からで来てたときに死んでるようだったら、死亡証明になるでしょう」
えーーー!?昔の話ではないの??
現実だけを考えると、ジョイスに数時間の壁は難しいのかもしれないと思い、即主治医に相談だと思った。
主治医から、生存の有無をしっかり調べるから大丈夫だと聞かされ、ホッとしたというエピソードがあった。
神さまは、最良の人を私たちの周りに置いてくださっている。
「ありがとう。」
たくさんの人に支えられ、私はもうじきジョイスに会える。