私の主治医の先生です。妊娠11週のセカンドオピニオンで訪れた日から先生と私たち家族との歩みが始まりました。
いつも真摯に向き合ってくださったことを感謝しています。ジョイスと過ごした時間の中に、いつも多田先生の存在がありました。妊娠中は、無脳児の出産例が少ないため自分たちで調べられる情報も限られていて、いつも疑問や心配事がつきまといました。不安になる度に、夫とドクター多田に聞こう。ドクター多田がこう言われているのだから大丈夫だろうと話しました。
多田先生は、私たち夫婦のためにたくさんの時間をさいてくださいました。私たち夫婦をご存知な方はよく分かると思うのですが、私たちはとってもマイペースなのです。文化の違いや英語と日本語を介しての面談や検診は、一般の人の倍ほど時間がかかりましたが、多田先生は辛抱強く熱心にお付き合いくださいました。
そのような中で夫が、何度か言っていました。「ドクター多田と話していると、ひろみのお父さんと喋っているような気分になるよ。」私も同感でした。冷静な中に、父性を感じさせるような 深い優しさが滲み出る先生でした。
先生の誠実な応対に信頼を置く一方、歯に衣着せぬとはこういうことねと何度か思いましたが(笑)
私たちは、多田先生に出逢えて本当に嬉しかった。
この方が主治医でなければ、命あるジョイスを抱きたいという私の夢は叶わなかったと思う。
日本では、予定日を過ぎると必ず2週間以内(42週以内)に何かの方法で赤ちゃんを出すことになっていますが、ジョイスが産まれたのは44週と2日でした。多田先生は母体の安全を優先にされ、42週を過ぎても無理にジョイスを出すことをされませんでした。世間体や枠にとらわれずに多田先生が私の命を守りたいと言い続けてくださったおかげで、ジョイスが生きて産まれ出てくることができる最良の日を迎えることができました。
分娩の日、ジョイスはたった3時間の陣痛で命を落としかけていた。
世間一般の基準に合わせて、陣痛促進を使って無理に出そうとしていたら、
おおいのないわずかに残された彼女の脳が長時間の陣痛に耐えられたとは思えない。
世間で44週の出産はまず聞かない。出産した病院でも私が初めてだというし、 インターネットで検索しても出てこない。
多田先生でなければ、ジョイスが生きて産まれ出てくることは出来なかったと思う。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい」 という御言葉があるが、神さまは、その時に合わせて、多田先生という最良の人に出逢わせてくださったのだと思いました。
先生にジョイスが産まれたら会いに来て欲しいとお願いしていました。先生が来られたときには、ジョイスは息絶えていましたが冷たくなった娘を「ジョイちゃん」と呼び、抱きかかえ一緒に写真を撮ってくださいました。
私に「本当に無事で良かったね」と最高の笑顔を見せ、ジョイスの出生と私の無事を喜んでくださいました。
そして、先生が言われました。「すべて完璧だったね。」
ジョイスは天国へ行った。それでも、すべて完璧だったという思いが、私たちの思いと同じだったことが嬉しかったです。
聖書にこのように書かれています。「イエスはこれを聞いて言われた。医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」マタイの福音書9章12節
病人に医者は必要です。無脳症は治らないと言われているので、多田先生にお世話になると同時に神様にもお願いすることにしました。もし、今までの中で失礼な発言がありましたらお許しください。
国立岡山医療センターの医療フタッフの方、本当に温かな方が多かったです。
先生にそれを伝えると「僕もそう思う。みんな優しいです。いいスタッフですよ」と言われていました。本当にお世話になりました。
すべて、本当に完璧だったと思う。
ジョイスを想うたびに、一番ジョイスを知り関わってくださった多田先生を想うはずです。
神様が出逢わせてくださったジョイスと私の命の恩人の先生のために、私たちは祈りたいと思います。(少し重いですか? それ以外、私たちが出来ることはありませんので… )
多田先生と医療スタッフの皆様、本当にありがとうございました。