就寝を迎え、私の横でやすむジョイスの顔を見つめていたときだった。ジョイスの顔色が少し悪いような、また少し苦しげな表情をしているように思えた。抱きあげようとして、私の手がジョイスの足に触れていたとき、少し冷たくなっていることに気づいた。
ジョイスをベッドのわきでみている母が、きっと体勢がしんどいのかもしれないと言い、点滴に繋がれて思うように抱くことできない私の代わりに、母がジョイスを抱き上げてくれた。母はジョイスを自分の体に包み込むように抱きかかえ、冷たくなった手足をさすり 温めてあげていた。しばらく母が抱いていると、ジョイスの手足にまた温もりが戻ってきた。体勢が悪かったのかもしれないねと、温もりの戻ったジョイスを母が私の隣に寝かせてくれたが、ベッドに寝かせるとジョイスの呼吸が荒くなった。
「さっきまで、お腹の中にいたんだよ。急に一人になって、不安なのかもしれないよ。」と母が言った。「そうだよね。私たち11カ月間もずっと一緒だったもんね。」とジョイスに言って、私の腕に抱き揺らしてやると、ジョイスの荒かった呼吸が落ち着はじめた。
「ひーちゃん、体が痛むやろう」と妹が手を差し伸べてくれたので、次に妹にジョイスを抱いてもらった。それからは、母が抱き、私が抱き、また妹が抱いた。
喉が渇いているかもしれないと思い、おっぱいをくわえさせてあげたが、ジョイスは吸わなかった。やはり手足が冷たい感じがするし、何か様子が違ってきている気がし、一時間程寝ていた夫を起こした。
「ジョイちゃんの様子が違うの、前よりもしんどそうなの。」
なぜ起こしてくれなかったのかと少し不機嫌そうな表情をして、夫が私のベッドにあがってきた。
夫は、ジョイスの顔をのぞき込み話しかけてやった後、ジョイスを腕に抱いてゆっくりと揺らしながら、お腹の中で聴かせてあげていた子守唄歌を歌いはじめた。夫がジョイスを見るその眼差しは、とても優しかった。
時々、ジョイスが呼吸をしづらそうにするときがあった。そんな時は、ジョイスが落ち着くだろうことを二人でしてあげた。夫は、ジョイスに自分の声を聴かせてやり、私は、ジョイスにおっぱいをくわえさせてやった。おっぱいを吸う力はなくても、少し呼吸が穏やかになるのがわかった。ジョイスは、ママとダディーを知っているようだった。
ベッドのわきで妹と話をする母の声が鼻声だった。泣いているのかなと思いつつも、その理由をよく考えることができなかった。でも、母はもうあの時には気づいていたのだろう。ジョイスの命の灯火(ともしび)が揺らぎ始めたことを。私には、ジョイスの呼吸の仕方が変わってきていること、その変化だけしか見ることができなかったし、その先に来ることも想像できなかった。
夫が、次に抱っこしたらとジョイスを私に渡そうとしてくれていた。しかし、出産時の縫い傷も痛むし、全身でいきんだせいだろうか筋肉が疲労していて、体の力のコントロールがうまくできない。ジョイスをしっかりと抱きたいと思い、自分の体勢を整えるために、夫に一度ジョイスをベッドに寝かせてもらった。自分の体勢を整え、ジョイスを私の抱きやすい向きにして... としている時にそれは来た。
ジョイスの体が急に固くなり、小刻みに震え、ギャー、ギャー、と泣き始めた。ジョイスは痙攣(けいれん)を起こしていた。
かすれた小さな泣き声は、とても悲しげで苦しそうだ。
どうしよう、どうしよとウロたえる私を横で、夫が落ち着いた声でジョイスに話す。
「Joyce, It's o.k. I'm here . Mommy and Daddy are here .
(ジョイス、大丈夫だよ。ダディもマミーもここにいるよ。ここにいるよ)」
どうすればいいのだろう。医者を呼んでも何も施すことはないのだろう。
ただ、一つ私たちにできることは祈ることだった。ジョイスに触れる私の手は動揺で震え、口の中は喉までからからになり、祈りたいのに声がでなかった。
夫がジョイスの胸の上に手を置き祈りはじめたのを見て、私も祈らねば、祈らねばと思い、震える手をジョイスに置き、「神様、どうか、ジョイスに苦しみを与えないでください。痛みを感じさせないでください。ジョイスがしっかり呼吸ができるようにしてあげてください。」と心の底から神に求めた。
20〜30秒程して痙攣がとまった。夫がジョイスを抱きあげて、優しい声で子守歌を歌い始めると、痙攣の苦しみで険しくなっていたジョイスの顔がまた優しくなっていくのが分かった。
夫が歌い始めて30分程経つと、また痙攣発作がジョイスを襲い始める。
ギャーギャーと小さな体で痙攣に必死に耐えながら、悲しげに泣くジョイスを目の前に、何もできない自分の無力さを味わった。「ジョイちゃん、しんどいよね。ジョイちゃん、神様がいるよ。イエス様が一緒にいるよ...」 と励ましの言葉を耳元で言ってやるぐらいしかできなかった。ジョイスの悲痛な泣き声を聞きながら、私たちは、神様、助けて、ジョイスを助けてと胸の中で叫んだ。
不安で涙をためる私の横で、夫は落ち着いた様子で、ジョイスを抱き子守歌を歌い続ける。自分の胸元に引き寄せ、顔をジョイスの方に極力近づけて、ジョイスの痙攣が過ぎ去るまでの間、ダディーがそばにいることをジョイスが知れるように、一人ではないことを知れるようにと途切れさせることなく子守唄を歌ってやっていた。
二回目のジョイスの痙攣発作が過ぎ去ってから、痙攣は無脳児の特徴だと夫が教えてくれた。
私は、知らなかった。私が不安がるとき、夫はあえて冷静に振舞う。痙攣のこのことも、もしかすると必要のない情報かもしれないからと、心配させないようにわざと教えてくれていなかったのだろう。
痙攣がおさまり、少し落ち着いたジョイスの状態をみて、母が尋ねてきた。
「ジョイちゃん、喉が渇いているんじゃない?」
「お母さん、でも、ジョイス飲まないよ。」
「もしかたら、飲むかもしれないでしょ、試してみなさい。今、飲めなかったら、これからどんどん、飲めなくなるのよ。」
どんどん飲めなくなるの⁈ と心の中で問うた。
我が子の命は半日以内であろうと医者に言われ、死ぬ運命であることを知って言いるのに、どんどん飲めなくなると言われた言葉がふに落ちなかった。ジョイスの置かれた状況を聞かされて分かっているつもりだったが、我が子が数時間のうちに、この世を去ることを悟っていなかった。無意識のうちに、悟ることを拒んでいた自分がいたのだろう。
母の言った言葉の意味を考えながら、我が子に目をやった。痙攣を起こすごとに、弱ってきているその姿を見て、ようやくジョイスの命の灯火がもうすでに揺れはじめていたこと、そしてそれは小さく細くなってきていることを悟った。
ジョイスは、もぅじき死ぬのだ。
それを悟った瞬間、急に、焦りと、どうにも表現できない感情が込み上げてきて、何かしなくてはいけない、命のつなぎとめるためにジョイスにどうしても授乳しなくてはいけないと思った。
ジョイスの口元におっぱいを持っていって言う。
「ジョイちゃん、おっぱい飲んでよ。
飲まないと死んじゃうんだよ。一緒にいれなくなるんだよ。
お願いだから、おっぱい飲んでよ。」
必死に、飲ませようとするが、ジョイスは口を開けることさえもできなくなっていた。
どうしても吸わないから、産後少しずつしかでないミルクを絞って、ジョイスの口に含ませてあげた。また、乾燥してきた、唇にもミルクを塗ってやった。
ジョイスの呼吸は、産まれたときから、一度小さな口をめいっぱい開けて息を吸い込み、その後数秒間は呼吸をしないという不規則なものだったが、痙攣を起こすごとに、息を吸わない時間がのびていく感じがした。
時々、口を開けることができなくなったのかと心配になり、ジョイスの小さな口に私の小指を差し込んでこじあけて呼吸ができるようにしてやった。
ジョイスが息を吸わないその数秒間がとても長く感じられた。
小さな体がどんどん冷たくなっていく。夫、私、妹と母でジョイスの手足をさすり、自分の体温をジョイスにあげるような思いで、ジョイスの全身をさすり温めてやった。
ジョイスの命の灯火が消えないように、その灯火に皆で手をあて囲んでやる。少しでも長く生きてほしい、消えないで、消えないで…と必死に灯火に手をあてる。
3~4時間前までは、ジョイスは微笑んでいたのに。あまりにも急だった。あんな穏やかな表情で私の指をつかみ、微笑んでいたジョイスはどこにいったのか。
発作が起きるたび、心の中で必死に願う。ジョイちゃん、逝かないで。逝かないで...
容赦ない発作が、4~5回ジョイスを襲った後…
ジョイスは静かになった。