新生児用の小さな聴診器をジョイスの胸にくまなく当て、慎重に心音を確認されていた。今まで生きてきた中で、これほど沈黙を長く感じたことはなかった。皆が口を閉じ、その重い沈黙の中でジョイスの主治医からの言葉を待った。
主治医は、聴診器を外した後、何も言わずに、白衣のポケットからPHSを取り出し、デジタル時計に目をやった。そして、静かな声で私たちに告げられた。
「今は、もう心臓を動かされていません。
9時4分。死亡の確認を致しました。」
主治医とそばにいた二人の看護師さんが、ジョイスに向かって手を合わせ、深々と頭を下げて黙祷された。
その瞬間、私の瞳から大粒の涙がこぼれた。泣きたくないのに大きな涙がボロボロと勝手に流れた。
ジョイスを最後まで温かく見守ってくださったことに感謝し、「ありがとうございました」と声を振り何とか伝え、彼らに向かって夫婦で頭をさげた。
私の頬をつたう涙とともに私の感情というものが、どこかに流れていってしまうような感じがした。
私の感情がどこかに行ってしまい、心の中が、空っぽになった。
ジョイスが逝った。天国に旅立った。ジョイスが逝った。
主は与え、主は取られた。
ジョイスが逝った… それだけが、空虚な私の心の中を駆け巡っていた。
それ以外のことは、何も考えられなかった。
小児科医と看護師さんが、「少しの間、ご家族で過ごしてください」と再度深く頭をさげられて、病室の扉を静かに閉めて出て行かれた。
しかし、またすぐに扉が開けられ、誰かが勢いよく入ってきた。
ジョイスの主治医が戻ってこられたのだと思い、夫が再度立ち上がったが、目の前に現れたのは、私たちの通う教会の牧師だった。
なぜ牧師がここにいるのかが分からなかったが、
牧師の顔を見て、ただ口から出せる言葉は、
「ジョイスが天国に帰りました。」それだけだった。
それを聞いて、牧師が直ぐさまに、ジョイスの上に手を置かれ、
天国にジョイスちゃんをお返ししますと祈られた。
死亡確認がされたのが9時4分だったが、木村牧師が訪ねてきたのは9時10分だった。ジョイスが旅立った6分後に牧師が現れた。誰も牧師に連絡をしていなかったが、まるで知らせを受けたかのようにジョイスの前に現れた。
牧師が私たちによく言われていたみ言葉があった。
すべてに時がある。「 神のなされることは皆その時にかなって美しい。」
産むときにあわせて、出生の直後に牧師は分娩室にいた。
死ぬときにあわせて、牧師は病室にいた。
神様のなされるその時にあわせて、神様は牧師を呼んでくださったのであろう。
平成27年10月6日 9時4分
ジョイスは、皆に見守られながら無事に天国に旅立った。