体も痛んだが、何より一人になりたかった。
体を休めた方がいいのもわかっていたので、横になるが眠ることもできず、一人寝室にこもり、ジョイスのビデオを見ていた。
ビデオには、私の家族と夫と長女の5人で代わるがわるジョイスを抱いている姿があったが、思ったより夫が映っていないことに気付いた。
しばらくして、寝室に入ってきた夫にそれを伝えると、夫は表情を固くしたように思えた。
大丈夫かと尋ねると、「うん。もぅ、いいんだよ。」と応えた。
そうは言っても、夫の表情は重い....
良かったら話して欲しいと伝えると、口を固くつむったまま、静かに頬をぬらしはじめた。
ジョイスが天国に帰った日に一度泣いた以来、夫の涙をみていなかったので、きっと泣きたいのだろうと思い、夫が落ち着くのをまっていた。
少し泣いた後に、夫が話したことに心が痛んだ。また、私は、深く深く後悔した。
「僕は... もう少し、ジョイスを抱いていたかったよ。
なぜ、あの日、僕を起こしてくれなかったんだ。
一時間寝たことで、僕はジョイスのほほえみを逃してしまったんだ。」
あまりに予想外の言葉に、なんと応えていいか分からなかった。
夫のその言葉に、自分のした大変なことに気付きはじめ、それが今の夫の涙がつながっている... 頭の中は混乱し、言われていることを理解していくうちに、どんどん自分の血のけがひいていくような思いがした。
確かに、夫の言う通りだった。
彼は、ジョイスと15時間ともにいたけれど、14時間しかジョイスを見ていない。
ジョイスが産まれ家族だんらんのときを持っているうちに、気付けば時計の針は夜中12時を回っていた。夫は、長女を早く寝かせてあげなくてはと言い、まだ興奮がおさまらない長女の横に添い寝をして寝かせてくれていた。その時に、夫は長女と一緒に眠りに落ちてしまった。
一瞬迷ったが、昨夜も遅かったし、仕事を終えて疲れているだろうからと思い、夫をすぐに起こさず、一時間ほどの仮眠をとったところで起こした。
しかし、そのことを夫が今日までひどく悔やんでいたのを私は知らなかった。
「僕は、娘の人生の15時間のうち、1時間を知らないんだ。何かを見逃してしまっているようでたまらないんだよ」
なぜ、私はあの時、夫を起こさなかったのだろう!
今になって本当に後悔した。
私が彼なら、同じことを思ったはずだ。
ただ、ただ、「ごめんなさい」しか言えず、ごめんなさい、本当にごめんなさいと夫に謝るが、たったその6文字では許されない失敗に対して、その6文字が本当に薄く、軽く思えた。
取り返しがつかないというのは、本当にこういうことを言うのだ。
どうしよう… 深く傷ついた夫を目の前に、この過ちの解決方がどう考えてもでてこなかった。
なぜなら、もぅジョイスは、ここにいないから。
「あなた、本当にごめんなさい....
私には、あの時間、ほほえみを見せたり、おっぱいを吸おうとしたりするジョイスがそんなにすぐ旅立ってしまうことが本当に信じられなかったの。ごめんなさい。」
分娩後に、医師が半日かもしれないと言っていた。
ジョイスの体は死に向かっていたはずなのに、あの瞬間、この世でもジョイスの母になれた嬉しさで舞い上がり、娘がずっと生きてくれると錯覚していたというか、願望と言うか... 現実を見ることができていなかった。
長女と夫の寝息が聞こえてくるあの空間が、ごく日常の我が家の休息のときのように感じられ、私の腕の中にいる新しい命も加わった幸福感と安らぎを味わっていた自分が、今となれば、夫とジョイスとのかけがえのない時間を奪っていた身勝手さだったと知り、自分がひどく嫌になった。
夫が涙を見せないことが、まるで心を閉ざして、何かを守っているかのように感じていた。
彼の心の中には、深い悲しみと後悔、また怒りがあったのだろう。きっと、それを外に出さないように心を閉ざしていたのだろうか。
そんな思いを抱えながらも、私や家族の世話、送迎、事務的な手続き、長女のこと、すべてを背ってくれていた。そのおかげで、私はジョイスのために存分に泣くことができていたのだと知った。
夫は泣くことができなかったのではなく、私が泣かせてあげられなかったのだとようやく気づいた。
夫の本心は、「もっとジョイスを抱きたった、そばにいたかった」だった。
「後一分でも一秒でもジョイスを長く抱いていたかった...」
そう言って、この夜、ようやく夫は泣いた。まるで、張りつめた糸が切れたかのように泣いて、感情をあらわにした。
「もっと、ぎゅっと抱きしめてあげたかった。
火葬場にいたとき、あの場にいることが耐えられなかったよ。
骨を拾っているときに、もう終わったって思った。もう、遅い。もう、遅い。ジョイスはもうここにはいないって。
ジョイスの骨を拾うとき、本当に辛かった。
ジョイスの乳歯とか喉ぼとけとか、もぅどうでもよかった。骨なんて拾ってどうなるんだ。もう、ジョイスはもうここにいないんだから。
抱きたいと思っても、もう抱けない。
お風呂に入れてあげたかったけど、もう遅い。
キスしてあげれば良かった。
すべて、遅いんだよ。
後から後悔しても、遅いんだよ。」
「ごめんなさい」としか言わない私に気をつかったのか、夫は私の手を取り「いいんだよ。ひろみのせいではないんだよ」と言った。
「妻を守ること、家族の世話をするのは、夫としての僕の務めだから、あたりまえなことなんだよ。
何よりね、すべて、僕が臆病だからいけなかったんだ。
ぎゅっと抱けば、死んでしまうんじゃないかって怖かった。
キスしたら、むき出しの脳に菌が入って命を縮めてしまうんじゃないか。
お風呂に入れてあげたかったけど、そんなこと頼んだら病院に迷惑をかけてしまうと思ったから頼まなかった....
けれど、僕の娘をきれいな体にしてから送り出してあげたかったよ。
なぜ、あの時、臆病になってしまったんだ。
娘は、死に向かっていたんだから、思うことをしてげれば良かった。
でも、すべて遅いんだよね。
後から後悔しても、遅いんだよ....」
そんな風に泣く夫の姿を初めてみて、私の心は痛かった。
私は、何も気づいてあげらなかった…。
しばらくして、涙を拭きはじめた夫が、
泣きやまない私の片手をさき程よりも力強く握り、
「ひろみのせいではない。もう本当にいいんだ。ありがとう」と言った。
私が、「許してくれる?」と尋ねると、「うん」と応えた。
落ち着きはじめた夫が「ジョイスがどんな風にほほえんだか教えてくれる?」と私に言った。
「ジョイスが寝ているときに、頬をなでてあげたら、一瞬小さくニコリとほほえんだんだ。とっても可愛かったよ」と伝えると、目にまた涙をいっぱいにし、顔をくしゃりとさせて「そうだったんだね」と言った。
気付けば、夜中の2時半になっていた。
二人で涙を拭き、鼻をかみ、そろそろ寝ようと常夜灯を消してベッドに入った。
夫に頼んだ…
「あなた、一人で泣かないでくれる?」
「うん、また一緒に泣こうね」と夫が応えた。
そして、夫が続けて言った...
「今回、僕は本当に学んだんだ。
臆病は何も生まない、後悔するときには遅い。
これからは、後悔のないように生きたいと思うよ。」
「うん、そうしようね。私も手伝うね。
私は、あなたや子どもの今の気持ちにもっと寄り添い大切にできるようにしたいと思うよ。」
と伝えた。
私も今回、学んだ。
一番大切な人の思いに気づいてあげられなかったことをとても反省した。
今後は、私の夫や娘の今の気持ちを大切にしたいと思った。
また、夫の責任感の強さやお人好しの良さが、裏目に出て、彼が生きるべき、味わうべき人生の瞬間の大きな妨げになりすぎないように、「夫に大丈夫、今を生きて!今を楽しんで!」と言ってあげよう。一方で、夫がそうできるように、私はもう少し強くなりたいと思った。
肩が隠れるほどに毛布をひっぱり上げ、夫は「おやすみ」と言った後に、普段どおり、「アイラブユー」と言ったので、私も、「アイラブユーツゥー」と言って目を閉じた。