顔を温かいタオルできれいに拭いてやり、伸びた爪を切ってやったが、切るときに、上手に組まれていたジョイスの指をほどいてあげなくてはならなかった。
携帯を持って少し病室を離れていた母が戻ってきて、「どうして、手が外れているの?」と言い、ジョイスの手の指をとり、祈りの形に戻してあげようとするが、死後硬直が始まっていて、なかなか元の形に戻せないでいた。
「お母さん、ジョイちゃんは神様と一緒にいるからもう大丈夫なんだよ」と伝えるが、
「それでもね、それでもね…」と、涙をジョイスの指にポタポタとこぼしながら、母が言った。
「お手てを組んでいたら、ジョイちゃんもお祈りができるかもれないでしょう。」
祈りの形に手をあわせた後、「ジョイちゃん、ナナよ(英語でおばあちゃんの意味)。よく頑張ったね。よく頑張ったね…」と言い、母はすすり泣いた。しばらくジョイスを抱いた後、母は自分の顔をジョイスの耳元に近づけて、小声でジョイスに何かを伝えていた。
数時間して、助産師さんが“赤ちゃん用のベッドとお部屋”を作らせて欲しいと、ドライアイスをジョイスの敷布団の下に敷き詰め、病室の温度を16度に設定された。私は、処方された母乳をとめる薬をのんだ。
前日から、一睡もしていないのに隣に我が子の遺体があった。
死後の手続きは出産前から下調べや準備をしていたが、この日を迎え、それがとても苦痛なものであることがよくわかった。ジョイスを抱いて別れを惜しんでいる間に、業者のドライアイスの配達時間や、書類に書いたり判子押したり、棺屋に電話し、身内に出産と死亡を伝えた。ジョイスをなかなか抱けない。 娘が亡くなったのにその二時間後に、夫はその娘をおいたまま火葬の手続きに行かなくてはならなかった。役所で、出生証明書と死亡届けの両方を提出し、火葬するための許可書をもらってから、はじめて火葬場の予約を取ることができる。
気温やジョイスの体の状態を考慮して、死後した翌日(明日)の火葬がいいと病院から言われ、夫と母は、二時間、役所で許可証の交付を待ち、火葬場が閉まる5分前に許可書を何とか受け取ることができた。
必死な思いで、火葬場に予約の連絡をしたが、電話口の職員から明日は休みだと返答された。カレンダーを見たら、祝日でもなんでもない。
しかし、よーく見ると、小さな文字で友引と書かれていた。友引だから火葬場は休みだという…。
最短の予約で、明後日の午後に火葬することになった。
夫は、火葬場の許可書をとった後は、カナダから到着した両親を迎えに行った。
家族がいなくなり、ジョイスと私が初めて二人きりの時間。
ジョイスを抱きかかえてあげるが硬直していて、私の腕に沿わないし、冷たい。
助産師さんとの話しで、火葬日が一日延びたので、ジョイスの体のことを考えて、なるべく霊安室に入れてあげた方がいいだろうということになった。
霊安室に連れていかれるジョイスを見送りながら、霊安室はどんな場所なんだろうと考える。たくさんの遺体があるのだろうか。光はあるのだろうか。初めて娘を送り出す場所が、実家や、学校などでもなく霊安室だった。
一人になると、ジョイスがどうしているかが気になった。
霊安室は、寒いんだろうな…
でも、ジョイスの体にとったらその方がいいんだろう。
ジョイスの霊はもう天国にいる、ただ肉体だけがここに残されているのだから、気にしなくていい。ジョイスの少し残ったむきだしの脳が腐敗するよりかはマシだろう。ジョイスのため、ジョイスのためと何度も自分に言い聞かせようとしたが、心の中では、いつも霊安室にいるジョイスのことが気になった。。
夜9時頃、夫が息を切らせながら病室に戻ってきた。長女とカナダの両親のことを済ませて、急いで帰ってきたのだろう。
就寝前に、もう一度ジョイスを見せて欲しいと助産師さんにお願いし、二時間ほど一緒にいらせてもらった後、ジョイスにおやすみを言ってから、またジョイスが霊安室に戻っていくのを見送った。
その夜、夫は、ジョイスに話しかけたが、冷たくなったジョイスを抱かなかった。