夫が両親に、ジョイスの分娩時から今までのことを色々と話してあげていた。義理の父は、持参したティッシュでは足りなくなったので、病室のティッシュに手を伸ばしながら聞いていた。その一方で、義理の母は静かに耳を傾けながら、じっとジョイスを見つめていた。
私たち夫婦は、義理の母を冗談も込めて、アイロンレディーと呼ぶことがある。
鉄の女性という意味だ。
夫が母親の涙を見たのは人生で一度だけだという。
夫の実の父が他界した日、その一回限り。
実は、私は義理の母がもう一回、人前で涙を流した日があることを知っている。
夫が私に結婚の申し込みをして、私がYESと答えた日だ。友人牧師宅のホームパーティーで私たちは婚約した。YESという私の答えに、友人たちが歓声をあげる中、義理の母だけが顔をしたを向けて、こっそり涙を拭いていたのを知っている。
この日、夫からジョイスの話を聞き終えた鉄の女の目には三度目の涙があった。
義理の両親が返った後も、たくさんの方がジョイスに会いに来られた。
職場の方、友人の牧師夫妻、友達…日本、アメリカ、フィリピン、ハワイ、カナダと国際色も豊かただった。
教会の友人は、4歳と7歳の子どもを連れて面会に来た。
子どもたちは、赤ちゃんの遺体なんてみたことがないだろうし、怖がらせたくないと思い友人に尋ねてみた。
「ジョイちゃん、冷たくなっているし、体だけなんだけど…子どもたちジョイちゃんに会いたいかな?」
友人が言った。「もちろんよ、そのために来たんだから」
ジョイスに対面したその7歳の女の子が言った。
「わぁ~かわいい!」
その一言に、長い間胸にしまっていたつかえがとられた感じがした。
ジョイちゃん、可愛いんだね…
子どもの正直な言葉が、本当に嬉しかった。。
出産前から、ジョイスがどのような形で産まれてきても受け入れたいと思っていたし、ペタンコの頭部に帽子をかぶり、うっ血した紫色のジョイスの顔を見ても、可愛い、愛おしいと思えたが、それは親だから思えるのかもしれないと思っていた。
外見なんて、どうでもいいと思うけれど、その女の子が冷たくなったジョイスの顔を見ても、「かわいい~」と微笑みを浮かべて言ってくれたことが親として、単純にとても嬉しかった。
この日に訪ねてくださった何人かの方が私に言われた。
「お母さん、強いんだね。淡々と語ることができるんだね。」
違う。私は強くない... 。
そのように言ってくださる人に伝えた。
「”神様が強い”のです。私が強いのではないのです。
弱い私が、強い神様とともにいるから、強く見えるだけです。
弱い私の中に、神様の強さを見られているだけです…」
「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」第二コリントの手紙12:10
私が弱いから"神様 の凄さ、強さ”が人々に見えるのだろう。
私が弱い時こそ、主は強い...。私が弱いから、主が助けおおってくださる。
聖書は、弱いことはいいことだと言っている。
その場では、知人が言ったように、自分でも変なぐらいに淡々と話せた。ジョイスは天国に帰ったけれど、皆とちゃんとはなせているし、笑顔もでた。私は、もう大丈夫かもしれないと思った。
でも、一人になるとそうではない。自分が本当に弱いことがよく分かった。冷たくなったジョイスちゃんの頬に顔をつけて泣いた。
この夜、夫は義理の両親と長女の世話のため帰宅。
夜10時半… 助産師さんに寝る前に、もう一度ジョイスに会わせて欲しいとお願いし、ジョイスのために、部屋の温度を16℃まで落として、毛糸のカーディガンの上から毛布をかぶりジョイスを待つ。
20分ほどして、ジョイスが病室に連れてこられた。
ジョイスは、冷蔵庫から出した直後のハムのかたまりみたいに、ひんやりと冷たく硬かった。人間の硬さではない。
「ジョイちゃん、今夜が最後だね。」
ジョイスを私のベッドの上に寝かせて、添い寝をしてみた。
..........違和感がある。
もう、ジョイスはここにいないんだ。
ジョイちゃんは天国にいるんだもんね。
ジョイちゃんの体におやすみしよう。このまま、一緒にいて遺体を愛してしまうと自分の気がおかしくなってしまう気がした。
そして、体を起こしてジョイスをもとの場所に戻した。
「ジョイちゃん、3度目のグンナィ(good night)だね。
おやすみ。愛してるよ。また、明日の朝、会おうね。」
そう伝えて、ナースコールを押した。