家に帰ると、たった4日間開けただけなのに、家の中の雰囲気がずいぶん変わっていた。
リビングは、ジョイスにと頂いたたくさんの花に囲まれていて、特にゆりの花の香りが優しく部屋中に満ちていた。
カナダから三日前に到着した義理の母によってリビングはきれいに整えられていて、普段の我が家の乱雑な感じはなかった。
キッチンに立ち食器を片付けながら、私たちに まぁゆっくりしなさいと言う母の姿に何か違和感があり、よく母の手元を見ると、驚くもので食器を拭いていた。
お母さん、それは…
あーこれ、日本のタオルにしたら分厚くて、よく吸収していいのよ!
と笑顔で応えてくれたので、それがバスマットだとは伝えなかった。
義理の両親は私に気を遣ってだろう、いっさいジョイスの話題に触れず、不自然なくらいに明るく、また平然を装っている感じがした。
次に、長女と遊んでくれていた義理の父が、いいものを見つけたんだよと、大人の上半身が隠れるほどの大きな袋にいっぱい詰まったポンポン菓子を見せてくれた。
ポンポン菓子、なつかしいですねと伝えると。
えっ!これシリアルじゃないの!?と尋ねてきた。
もしかしてと思ったが、翌朝...
じぃじぃ(義理の父)と3歳の娘が仲良くならんで、器大盛りのポンポン菓子をスプーンですくって食べていた。
夫がその光景を見て、まぁ、ライスクリスピーということになるかものねと... 苦笑していた。
帰宅すると、色々と驚くことがたくさんあり、気が紛れて助かった。
私が入院中、小麦アレルギーのある義理の父が、食べるものに困っていないか少し心配していたので、朝食にポンポン菓子であっても父の気に入るものが見つかってよかった。
日系カナダ人の二人、あまり日本語は得意でない。
母に関しては、「おこのみやき」と「もち」しか言わない。
父は、とても古い日本語を話す。お金を銭といい、かばんを巾着いう。警察官を巡査というし... お手洗いは、もちろん便所。
この二人、私のいない4日間、なかなか苦闘していたようだった。
長女の世話もだろうが、日本の生活自体にもだろう。
バスを乗り間違えて2時間放浪したり、散歩中に急にトイレに行きたいと言いだした娘をおぶって走りまわったり…。
私たち夫婦以外にもたくさんの人が、ジョイスのために一生懸命頑張ってくれていたことに気付いた。
義理の両親だけでない、きっと私たちの知らないところで支えてくれたり、祈ってくださったりした人々がたくさんおられたはず。
本当に、ありがとう。