(ジョイスの泣き声と賛美曲「Joyce」もビデオの中で聴いて頂けます。)
無脳症のあるジョイスを産むと決めたときに、神さまから与えられたみ言葉がこの中に出てきます。
「あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は
上から、光の父からくだってくる。父には変化とか、
回転の影とかいうものはない。」ヤコブ1:17
神さまの目に映る”良いもの” "完全なもの”は、私たちの目に映るものとは異なる。神さまから与えられるギフトは良いものである。
ずっとこのみ言葉とともに歩んできましたが、ジョイスをこの胸に抱いたときに本当にそのみ言葉を実感しました。
聖書には、このようなみ言葉もあります。
「私の目には,あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」イザヤ
神さまは、あなたを愛している。
そして、神様はジョイスも愛している。
そのままのジョイスを完全で良いもの、価値のある尊いものとして私たちに与えてくださった。
無脳症のあるジョイスを産むと決めた日から、私には違う世界が見えるようになりました。
神さまがつくられたものがキラキラと輝きはじめ、いつも主が共におられるのが分かり、神様は私たちに何度も語ってくださいました。ジョイスがお腹にいた11ヶ月と、この世で過ごした15時間は本当に奇跡のときでした。
神様が落とされた小さな命により、今もその奇跡が波紋のように私の心の中に広がり続けています。
ジョイスを通して…
神さまの奇跡のわざを見た。
ジョイスを通して...
神さまは喜びと希望を与えられ、
人を愛することを知った。
聖書書店の店主さんが言われました。
「ジョイスちゃんは、良いものだけを残して行ったのですね。」
これを打っているこのパソコンの後ろに花瓶に活けられた花が見えています。あのお祝い会で頂いて一週間たちますが、まだ美しく咲いてくれいます。
私たちの娘は、この花々よりもずいぶん早くに命尽きてしまいました。
それでも、彼女が生きた意味はあったと思う。
無脳症の赤ちゃんを産んだ後に思うことは、産む前に思ったことと同じでした。
”お腹の中にいる命も、数秒、数分、数時間、数十年も同じ命である。
永遠の神さまの目から見た命はどれも同じであり、その長さは関係ない。”
ジョイスを産んでよかった。長く生きない命だと決まっていても産んでよかった。
ジョイスを美しい、可愛いというのは、両親だから言えるのかもしれない。
でも、彼女がもたらしたものは本当に美しかった。
もし、このブログを読んでいる方の心の内にも、
ジョイスの命を通して、神さまのギフトが届いていたら嬉しい。
また、この奇跡の波紋があなたの内にも広がっていたら幸いです。