今は、グリーフプロセスの中にいます。
あの日、ジョイちゃんに会えたし、私も無事だった。
ジョイスの命を通して神様のことを知った私の家族(父、母、姉、妹)、友人二人がクリスチャンになりました。
ジョイちゃんは天国に逝ったけれども、たくさんの祝福があった・・・
めでたし、めでたし、The END となると思っていましたが、それだけでは終わりませんでした。
その後には、私自身が向き合うべきグリーフプロセス(悲嘆のプロセス)が残されていました。
昔、実家の愛犬ハッピーが四匹の子犬を生みました。
そのうちの一匹は、体が兄弟達に比べて小さく、翌朝には息絶えてしまいました。
母犬ハッピーの胸のなかで冷たくなっていったその子犬ですが、その子犬が亡くなって以来、ハッピーが突然クーンクーンと泣き出しては、家中を徘徊して、いなくなった一匹を数時間探し続けるようになりました。
子犬を探し回っては、ピアノの後ろに入り込み出られなくなり、私たちがハッピーを出してやるということを長い間繰り返していたのを思い出します。
愛犬家の母は、亡くなったその子犬の話題になると、10年近くたった今でも目と鼻を真っ赤にはらします。
今の私は、そんな母犬ハッピーの気分です。
ジョイスはここにはいないけれど、なんだか探している。
どこかにジョイスを感じたくて、見つけたくて・・・
学生の頃に、死の受容について学んだことがありました。
さまざまな感情を旅しなが、死を乗り越え受け入れていくのだなと思いつつ、両親が亡くなったときには(順番を考慮して)、このことを覚い出そうと授業を受けていましたが、こんな早くにそのプロセスを考える機会が来るとは思っていませんでした。
実際にその状況に置かれて思うこと。グリーフプロセスはあるようです。
例えば、キューブラロスの5段階説によると、
否定と孤独、怒り、取り引き、抑うつ、その後に死を受け入れることができる受容が来るという。
当時、講義をされていた先生が、個人差はあるけれど、すべての段階を必ず通らなくてはならないと教えていたことが印象的で「例外はあるんじゃないの!?」と心のうちに思っていました。
あれから、10年以上も経っているから、そういうことも変わっていたりするのかな。
今、どこの段階かよく分からないし、すべてのプロセスを一気に通っている気もするけど、確かに、だいぶん怒ったし、だいぶん鬱(うつ)っぽくもなった。
「怒り」の感情がやってきたことには、私自身も驚いた。
当初、自分自身が怒ってきることに気づいていませんでした。イライラして、腹がったって仕方がなく、神様に文句ばかり言っていたときに、ふと昔授業で習ったことを思い出し、自分に当てはめて、
「えー!私、怒っているんだ!」と驚きました。
しかし、気づけたことで、この感情にタイトルをつけることができ少し安心もしました。
私は、誰に怒っていたのか…
恐るべし... 神様に一方的に怒りを燃やしていました。
そして少ししてから、抑うつにもなりました。
体が動かない。朝起きられない。
あー何もしたくない…
精神不安の私を見て、教会の友人達が病院に連れていこうと騒いでいるのに対して、神様が私を鬱にしたのだから、神様に治してもらうんだ!と言い張っていました。
私のグリーフプロセスのせいで、ニシ家や教会にも随分どよーんとした空気を蔓延させてしまっていました。(います。)ごめんなさい。
でも、もう私、ボロボロだ。
やはり神様なしには生きられないことがよーく分かったので、ここに帰ってきました。神様への反抗期は終了にします。
ようやく神様のうちに戻って来ることができました。
神様のうちにいない私がブログを書く勇気はないですので、
長い間、沈黙していました。
でも、ここに帰ってこれたということは、少し回復したのでしょう。
またプロセスを行き来することがあるかもしれませんが、ゆっくり書いていきます。
ジョイちゃんのお友達(ブログを見てくださっている方)、どうしていますか?
いつか、お会いしたいですね~。