目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に浮かびもしなかったことを神はご自分を愛する者たちのために備えられた。コリント人への第一の手紙 2:9
神様は、私の知らないところで、私のために計画を備えてくださっている。それは、生まれる前から決まっているのかもしれない。
神様から贈られてくる御言葉や想いは、不思議だ。
それは、今まで心に一度も浮かばなかったことや、私の思いとは全く違っていることがよくあるからだ。
そんな自分のものではない思いが、すーっと心に入ってくることがある。
この夏、神様の創造美の中で、心も体もたくさんストレッチしてきました。
長い沈黙の期間、神様に背を向けたいとき、逃げ出したいとき、泣きたいとき、不平や不満をこぼしたいとき、周りから少し離れて、自然にだけ目と心を向けてきました。
花々が囲う春も、青葉の香りが漂う初夏も、山のふもとの湖で暑さをしのいだこの夏も、神様の造られたものはなんて美しいのだろうと思った。
その中に、ジョイスのかけらを何度も見つけては、小さな喜びをもらい、この自然が美しいように、ジョイスも神様によって完全に造られた美しい被造物だったことや、ジョイスの命の期間は、私が知るもっと前からすでに神様に計画されていたのかもしれないとも思った。
海と空と山、たくさんの自然の中で、神様の造られた壮大な自然にふれるとき、神様の大きな愛に間接的に抱かれているように思えた。
それは、まるで泣いて抱っこを求める幼子がお母さんに抱っこしてもらうかのように、私の造り主であるお父さんに抱っこされた、そんな感じだった。
カナダから帰国して、一カ月ぶりに教会に行くと、みんながおかえりと迎え、私の顔を見て元気になったね!と声をかけてくれました。親しい友人の中には、体も大きくなったんだね!とも...言う人も。
心もストレッチしましたが、体も横に大きくのび(膨らみ)ました。
ある女性はこのように言われました。
「この夏、神様が良い休息の時間をプレゼントしてくれたんだね」
その通り。
雄大な自然の中で、たくさん神様に抱っこしてもらい随分元気になりました。
神様は、いつも私に良いものを備えてくださっています。
昨日は、この数カ月、足が向かなかった教会の祈り会に出席しました。
教会に来ている一人一人、病の中にいる人、救いの必要な人、子どものたちのため... 神様のお力が必要な方々のために月に数回集まって祈ります。自分のことばかりで、長く参加できていなかった祈り会に久しぶり参加してみると、特別に祈りが必要な方というところで「では、ひろみちゃんのためにも祈りましょう・・・」といつもの流れかのように声掛けがありました。
ずっと、ずっと祈ってくださっていたこと、知りませんでした。
私、みんなの祈りのおかけで元気になったんだ…
そして、みんながお祈りしてくれる前に、「もう、大丈夫です。ありがとう」とお礼を伝えしました。
神様が、私にいつも語りかけ、そばにいてくださり、なぐさめ癒してくださるのも、私の祈り仲間が「神様、ひろみを助けてあげて」と必死に祈ってくださっていたからだとようやく気付きました。
私の知らないところで誰かが祈ってくれていることに感謝です。
私たち夫婦は、ジョイちゃんのお友達のために祈っています。
「今日もジョイちゃんのお友達に平安と神様の祝福がありますように。」
いつも、ありがとうございます。