2016年、しっかり明けましたよ。クリスチャンにも喪中とかあるのかなぁ。
年末に広島で少し遊んで、関西で新年を迎えました。長女に雪遊びをさせようと思い、広島の山間部に宿をとり楽しみ向かったのですが、暖冬のため肝心な雪がありませんでした。
お正月には、病気でふらふら歩く父と、世話やき母と、いつも雲の上にいるようなふわふわの妹と、知的障がいのある姉とニシ家でボーリングに行きました。
(私の家族で、地が足についているのは、きっと母だけだと思う。)
そもそもボールを投げることができるのかと心配していた父でしたが、
スコア180!?私は、47でした。
ボーリングの最中に定員が私たちのシートを何度も往復してくれていました。
姉が、携帯電話の使い方を定員に聞いていました。
お姉ちゃん、ここはアイフォンショップじゃないからね...
携帯が終わったかと思ったら、姉が、ドリングバーでグラスいっぱいに入れた抹茶ラテをご機嫌に持ってきているのを見ました。すぐに店員が駆けつけきてお勘定を... とお願いされるなど、なかなか興味深いボーリングでした。(姉は、抹茶ラテは、ボーリング代金と一緒に支払うのだと思っていたそうです。)
家族がそろってのお正月の団らん、何年ぶりだろう。20年ぶりくらいだと思う。
ジョイスの波紋がここに届いていました。神様の恵みの雨がここに降り注いでいます。
これから、新幹線で岡山に帰ります。明日、教会で振る舞われるおぜんざいに合わせてもどらなくては。
今年もその計画を楽しみしたいと思います。
私なんて無理、こんな状況が変わるはずがない。おさき真っ暗。そんな風に感じてしまうこともありますが、神様は言われます。
神様は、荒野に道を設け、さばくに川を流すことができる。
神様の流される川のかたわらには、繁栄と命があります。
2016年、その川が、皆さまの中に、豊かに流れますようにお祈り申しあげます。
「川のかたわら、その岸のこなたかなたに、食物となる各種の木が育つ。その葉は枯れず、その実は絶えず、月ごとに新しい実がなる。これはその水が聖所から流れ出るからである。その実は食用に供せられ、その葉は薬となる」エゼキエル47:12
「見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。」イザヤ60:2
もぅ少し書きたいことがあるので、まだブログ書き続けます。
このブログを読んでくださっている ジョイちゃんのお友達のみなさん、
今年もよろしくお願いします♪
追記:喪中についてお友達が教えてくれました。以下が内容です。
『キリスト者には、喪中って無いみたいです。もちろん、日本の伝統的なしきたりがありますから、キリスト者でも喪中葉書を出す方も多いですが、死は悲しみだけではなく、神様のもとに行くのだから喜びでもあり、クリスマスカードや年賀状を出さない必要はないのだよイエス様のお誕生はいつも喜びだからとある牧師が言っていました。』
死は寂しいし、その人を思うと涙も出るけれど、天国に行くこと言うことは喜ばしいことなので、やはり喪に服す必要はないようです。ジョイちゃん、今日も天国で楽しんでるだろうな。