いやいや、傷口も痛むし、ようやく11カ月かけてジョイスを産むことができたので、当分は休憩します... と主治医には伝えましたが、産後半年くらい経つと、夫がつぶやき始めました。
ぼくさー、君より10歳も年上なんだよ。
あんまり若くないんだよね…
三人目も可愛いだろうなぁ~
夫が第三子を希望しても、私の中で、次の妊娠に踏み切れないのには理由がありました。
無脳症児を一度産むと、次も無脳症児を妊娠する確率が高まるからです。
次の妊娠を希望するときは、一般よりも多めの葉酸を摂取することを勧められていたので、夫の後押しもあり産後半年程して葉酸をもらいに病院に戻りました。
しかし、処方された葉酸を内服しても、また赤ちゃんを授かりたいと思えず... 次の命が、また無脳症だったらどうしよう、ジョイスは神様からのギフトだけれども、またジョイスの時のように、一から同じ道をたどり乗り越える気力も精神も残っていない.... 。
そんな煮え切れない思いをかかえながら半年がさらにたった去年の夏、夫の実家があるカナダに帰る機会がありました。
夫の友人がいる教会、私が以前通っていた教会などにも足を運びました。
驚いたことに、その行く先々の教会で「ジョイスのママとパパね」と声をかけられたことでした。
そのほとんどが私たちの知らない人でしたが、それらの教会にいた何百、何千人もの人々が私たち家族のために祈ってくれていたことを知り本当に感動しました。
私が8年前に通っていた教会は、カナダバンクーバーにあるジョイフェロシップという精神・身体障がい者が通う教会です。
カナダに帰ったときには、私の愛する人々のいるこの教会に必ず行くようにしています。
その夏、そこで、二人の障がい児を持つ日本人女性に出会いました。
「ひろみさん、みんなね本当にあなた方のためにお祈りしたのよ。」
そう言って、当時の話しをしてくれた。
「みんな障がいがあって覚えれない人もたくさんいるから、牧師は毎週ひろみさんの写真をスクリーンに出し、まるで初めて話すかのように、ひろみさんの自己紹介をして、ジョイスちゃんの説明してから、毎週みんなで祈ったのよ。ジョイスちゃんが無事に産まれたときには、みんなに声をあげて喜び、ジョイスが天国に帰ったときは、みんなで一緒に泣きました。」
この話を聞いたとき、私は自分のからに閉じこもり、下ばかりを向いていたことを申し訳なく思い、また、私の知らないところで、たくさんの方の支えがあり、私はジョイスを15時間抱くことができたのだと本当に感謝して涙しました。
そして、カナダから帰ってきて、初めて思うことができました。
「また、新しい命を授かりたい。」
ジョイスは神さまの計画の中で与えられた子だったと改めて信じることができ、たくさんの友人、また私たちの知らない世界中にいるジョイスのお友達の信仰と支えにより、次の妊娠への不安が取り除かれたように思いました。
帰国して一カ月後、ジョイスの誕生日を準備しながら夫の帰りを待っているときに、妊娠検査をしようと思いました。
長女を授かるのに3年、ジョイスに2年、その間にも2回の流産もあり、すぐに妊娠する体質ではないと思っていたけれど、その日から一カ月間、神さまに祈っていました。新しい命を授けてください、そして出来れば、10月5日の記念日(ジョイスの誕生日)に妊娠結果が見たいと祈りました。
そして、この日、10月5日に検査をしたら、なんと!妊娠していることが判明しました。待ちきれずこの二日前にしたときには、陰性でした。
そして今日が出産予定日です。
長女もジョイスも予定日を大幅に過ぎて出てきたので、第三子も同じニシペースだと思っていたら、実は、11日も早く生まれ出てきました。
38週3日で産まれたジョイスの妹は、
今、私の横ですやすやと眠っています zzzzz
「ジョイスが、お姉ちゃんなりました」ことをご報告します。