最近、夕方の空を眺めるのが毎日の楽しみになっている。神様の描く夕空はとても美しい。
この日も夕焼けがあまりにも美しくて、夕食の途中に手をとめて、バルコニーに長女(まなみ)と二人で出た。
後二日で、次女ジョイスが二歳の誕生日を迎える。よくこの美しい自然美を眺め、神様に祈りながらジョイスの誕生を待ったことを思いだす。
夕日を眺めながら、ジョイちゃん、元気にしているかなと私が呟くと、
娘が、ジョイちゃんに会いたいと言ったので、ママも会いたいと言った。
現在、五歳になる長女は、ジョイスが産まれたときはまだ三歳だった。
あの日、娘は、命が尽きゆく妹にさよならと言ったが、退院して自宅に戻った私に「ジョイスはどこいるの?」とたずねてきた。
それ以降、娘は私たち夫婦に、ジョイスのいるヘブンはどこにあるの?どんなところ?と色々と疑問を問いかけてきて、2、3回に一度はジョイスに会いたいと言った。
就寝前には、こども聖書の天国の絵が出てくるページを読んで欲しがり、一カ月ほど毎晩同じ箇所を読んでやった。
当時通っていた保育園の先生に、「ジョイスはヘブンでイエス様といて、まなみは会えないからさびしいの」と言っていたそうだ。
ジョイスが私のお腹にいたとき、みんなに「お姉ちゃんになるのね!たのしみね」と言われ、本人もそのつもりだっただろうが、生まれてきた妹が家に帰ってくることはなかった。
今、娘は幼稚園の年中組に通っている。この二年間を振り返り、私たち夫婦もだったが、娘も幼いながらに一生懸命ジョイスの死を乗り越えてきた。
ジョイスが天国に帰りしばらくしてから、娘のぬいぐるみや人形の名前が全てジョイスに変わった。スーパーや教会に行くときは、ジョイスという名前の赤ちゃんの人形を抱っこひもに入れて連れて行き、自分が用事をするときは、近くの大人に「ジョイちゃんを抱っこしておいてくれる?」とお願いをしていた。
ジョイスの死後二カ月目、娘が食卓の下に潜り込み、天国ごっこを始めるようになった。食卓の下にイエス様役のクマのぬいぐるみをクッションの上に座らせて、ジョイスと名付けられたネコのぬいぐるみを私に渡し、クマのぬいぐるみがいる食卓の下を指して、「マミー、あそこがヘブンだよ」「イエス様が待っているから、ジョイちゃん(ネコ)をイエス様に渡してね」と私に言ってきた。
あれからもうじき二年が経つ。
今思えば、あの時、自分の感情を押し殺してでも、ネコのぬいぐるみ(ジョイス)をクマ(イエス様)に渡してあげればよかったと思う。しかし、当時の私は、ごっこ遊びであったのに、どうしてもそのネコ(ジョイス)をイエス様に渡すことができなかった。
「マミー、ジョイちゃんをヘブンに連れて行ってよ」としつこく頼んでくる長女に、「ごめんね、ママ、ご飯の仕度をしなきゃ」とか色々理由をつけては娘に背を向けていた。
娘が、天国ごっこを始めるたびに、ジョイスが旅立ったあの瞬間に引き戻される気がした。ジョイスが天国にいることは喜びだが、死後間もなかったこともあり、私には、ジョイスが天に帰る瞬間をまた疑似体験することが耐えられなかった。娘がジョイス(ネコ)を抱っこしながら語る天国や天使、神様の色々な話を聞いているだけでも、心が痛み、あのときの記憶が思い起こされるとともに、涙がボロボロとこぼれた。
何度断ってもしつこく天国ごっこに誘いにくる長女に、無意識のうちにきっとキツくあたったり、苛立ったりしていたのだと思う。ある日、突然、長女が泣き出したことがあった。
何をしていたわけでないのに、急に悲しげに泣き出した娘にびっくりして、どうしたのと言うと、「マミー ヘイツ ミー!( ママは私のことが大嫌いなんだ!)」と言い、感情を爆発させたように大泣きした。
その悲しげな娘の泣き声を聞いて、自分の状態がとてもよくないこと、また、そのことで子どもを不安定にさせているのだと思った。
私がジョイスの死を乗り越えるプロセスにあるように、娘自身は自覚していなかっただろうが、娘も同じようにジョイスの死を消化しようとしていた。
ジョイスの死後3か月目、娘がお腹に人形をいれるようなった。
「赤ちゃん、まだ生まれないの」「いま、おなかをけった!」「うまれたよ!」などと言って、生まれた赤ちゃんにミルクをあげたり、おしめ替えをしてあげたりしていたが、時々、その赤ちゃんは「ヘブンに行っちゃった」と天国に行くこともあった。ジョイスがお腹にいた妊娠期、出産、そして死を理解しようとしていたのだろう。
四カ月目くらいだった。
私が友人たちに、最近、しんどいといったような感じの話していたときのことだった。
私の隣で大人しく遊んでいた娘が、突然、紙を広げて鉛筆で紙を塗りつぶし始め「マミー、マミー、見て!見て!」と言ってきたので、お話ししているから待ってねと伝えたが、執拗に呼ぶので、「待ちなさい」と少し強めに言った。
友人との会話がひと段落して、「まなちゃんのお話しの番よ。」と言うと、鉛筆で書きなぐった紙を私の顔に向けて「マミー、ビュウティフル スカイだよ」と言って、紙を私の顔近くに持ってきて見せてくれた。
小さな手で絵の両端をぎゅっと握りしめて、まるで写真撮影をするときかのように笑みをかため、私の顔を見つめてじっと何かを待っていた。
娘は、私の顔が笑顔に変わる瞬間をじっと待っていた。
「きれいね、素敵な絵を見せてくれてありがとう」と笑顔を見せてあげると、表情をゆるめて、「これマミーにあげるね」と絵を私に渡して、また自分のしていた遊びに戻った。
娘の私を気遣う姿に気付くたびに、ママは早く元気にならなくてはいけない、頑張らなくてはいけないと背中を押される一方で、どうすれば乗り越えられるのだろうかと焦りを感じた。
普段から子どもたちの前で涙を見せないようにしているが、私の表情や雰囲気を読み取っていたのだろう、この日以降もママにプレゼントと言って、空や虹の絵を描いて何度も持ってきてくれていた。
娘は、私が空を好きなことを知っている。ママの好きなものを見せれば、ママが元気になると思って空の絵を描いてくれていたのだろう。
そのような娘の気遣いや、街中でみかける赤ちゃんが気になって仕方がない様子などを見かけるたびに、娘の状態がいつも気になった。
五カ月目、初めて娘にジョイスの動画を見せてあげた。かわいいー!かわいいー!と目を輝かせてはしゃいだ後に、急にうつむいて、目に涙をためて「ジョイスに会いたい」と言って私に抱きついた。
実は、三歳児でここまで深く妹を想うとは予想しておらず、娘も悲しかったこと、泣きたいほどに辛くて、いろんな形で消化しようとしていたことに、私はジョイスの死後半年近くなってようやく学んだ。
娘が、大きくなったら会えるのかな?と言ったので、
神様がまなちゃんを呼んでくれたら会えるよと伝えた。
数日して、娘が「ママ、死んでもいい?」と聞いてきた。
なぜ、死にたいと思ったのと聞くと、「死んだらジョイスに会えるから」と言った。
冷静に娘の話を聞いてやるようにしたが、三歳の子どもから、そのような言葉が出てきたことがショックだった。
死んでもいいかとたずねてくる娘を抱きしめて、「まなちゃんは、まだ死ねないのよ。神様がまなちゃんを呼んでくれたら、死んで天国にいけるのよ。まなちゃんがいなくなったら、ママ寂しくなるから、もう少しママと一緒にいてね」というと、娘はうんとうなずいた。
このようにジョイスの死を消化していっていた長女が、四歳になり、乗り越えるための大きな転機が来ました....