しかし、そう思ってしまう時こそ教会に行くべきだろう。少しでもイエス様に背を向けようとするのは、信仰が落ち気味のとき。賛美して神様にリフレッシュされようと思った。
行く道中で渋滞に巻き込まれたが、賛美が流れ始めた教会に、どうにか滑り込みで間に合った!
神様に、ありがとう!と褒め歌を歌いながら、心を静めていく。先週のあのことも、このこともごめんなさい…心を清めてくださいと日々の小さな悪いことをイエス様に明け渡し、心も体もすべてあなたのものだと伝えたら、絶不調で少しストレスを抱えた心が軽くなるとともに、喜びが心に入ってきた。
賛美後、初めて教会に来てくだった方にプレゼントを渡すのが私の担当になっている。
この日、初めて教会をたずねてくださった方がおられた。すっとした背筋が印象的な立ち姿のとても美しい女性だった。
その方にプレゼントの十字架のネックレスを差し上げるときに不思議な感覚があった。
なぜか、その女性にハグをしたくなった。笑
ハグをして出迎えたくなるほどにその方への不思議なほどの親近感があった。しかし、初めて会うのにハグをしたら不愉快だろうと思い、ぐっと抑えて、いつもはただ手渡しするだけのプレゼントのしおりに書かれた聖書の御言葉を読んでからお渡しをした。
その方に、出逢えたことを私の中にいる神様の霊が喜んでいるのが分かった。
私の中には、神様の霊がいる。その霊が、私を促したり、悟らせたり、語らせたりと導いてくれるときがある。(クリスチャンでない方には、少し変に聞こえるかもしれないのですが... 本当です。)
教会の礼拝が終わった帰り際に、その女性が「ジョイスちゃんのブログを読んで来ました」と言ってくださったとき、この霊の喜びと親近感はそのためだったのかとふに落ちた気がしました。
私たち夫婦が一方的に、このブログを読んでくださっている方々をジョイスのお友達と呼ばせていただいていますが、ブログを通して教会に来てくださったジョイスの友人にお会いするのは今回が初めてでした。
その方に「ジョイスのお友達さんですね!」と言うと、「はい」と応えてくださいました。
ジョイスのお友達は、とても素敵な雰囲気の方でした。
興奮しすぎて、何を話したかも覚えていないのですが、夫に帰りの車の中で、「ジョイスのお友達に会えたんだ!」と伝えた後、なんだか嬉しくて、嬉しくて涙が出てきました。
夫も、私の話を聞いて感動して目に涙をためて、「神様に感謝だ!」と喜んだ後に、「ところで、なんで、紹介してくれなかったの?」と言われた。「あー!」忘れてた....。興奮しすぎて、忘れていた。
また、私の自己中がでました。そして、いつも犠牲になる家族たち、ごめんなさい。
親族など身近な人が亡くなると、その方の話や関連の話題をさけようとするものだ。私でも死を乗り越えようとしている方々にわざわざその話題を持ち出さないだろう。その一方で、身内としては、もうこの世にいなくなってしまった家族のことが忘れられてしまう寂しさがあったりもする。
私は、その女性にお目にかかり、「神様の賜物」が今も誰かの心のうちに生き続けてくれていることがとても嬉しかった。
また、神様がこの女性にジョイスの命を通して、教会へ足を運んで頂くきっかけをお与えくださったことにとても感動した。
神様、ありがとうございます。
ジョイスのお友達、とても大切な存在です。いつもありがとうございます。
今日も皆さまに神様から来る平安が流れていますようにお祈りしています。
私たち家族は、毎週日曜日にクライストチャート岡山にいます。よかったら来てくださいね。神様との穏やかなときを共に過ごしましょう。教会は、どなたでも来て頂いて大丈夫です。心から歓迎します♪