クライストチャート岡山 木村由智牧師と木村咲子さんです。
ジョイスが産まれる前から、いつも共にいてくださいました。
共に喜び、共に泣いてくださり、私たちのためにかけずり回ってくださいました。生きない子であると聞かされた日に共に泣き、誕生の瞬間に共に喜びました。娘を亡くした日に私たちのために涙され、天国への旅立ち会のために心を尽くして働いてくださいました。ジョイスと私たちを本当に愛してくださいましたことを感謝します。
私たちが辛い道を歩むときは手を引いて導いてくれ、うずくまり泣くときは抱きしめて言ってくれました。「神様が共にいる。私たちも共にいる」。
木村牧師夫妻の愛と祈りの中で、私たちは神様に何度も立ち返り前進することができました。ジョイスが旅立った後は、さらにそれを身にしみて感じます。
先日、ご夫妻のことを考えていたときに、彼らの心の中にいつもあるみ言葉を知りたくなり伺ってみました。
~木村牧師の好きなみ言葉~
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」ヨハネ15:13
~咲子さんの好きなみ言葉~何かある毎に繰り返し思い起こすみ言葉だそうです。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる」詩編23:1-2
「愛を知る人が、愛せる人である」のようなことを高校生の頃に聞いたことがあります。じゃあ、愛の知らない人はどうするんだと思ったことを覚えています。
木村牧師夫妻は、”愛”を知っている。だから、人を愛せるのだろう。人間の移りげな愛ではなくて、変わることのない神様の愛を知っていて、その愛で人々を愛してくださる。
でも、やはり人間だから様々な感情や問題を通らなくてはならない。
そんな時に、詩編の御言葉を思い出されるのかなぁと勝手に想像しました。
それにしても、この方々はいつ休むだとうと思ってしまいます。今回また改めて思いました。木村牧師夫妻は、共働きをし、三児のお父さんとお母さんの顔も持っている。その上で、神様と隣り人のために働いおられます。
ご夫妻を見ていて、私もいつか木村牧師の言われたヨハネ15章13節の御言葉が私の胸にいつもあると言いたいなぁと思いました。
そのような生活の中で木村牧師が言われます。「何かあればいつでどうぞ。」
なので、何かあればどうぞ。何かなくてもどうぞ。日曜日に教会におられます。
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